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東京地方裁判所 平成2年(ワ)4788号 判決 1996年3月15日

原告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

和久田修

川村理

被告

右代表者法務大臣

長尾立子

右指定代理人

松村玲子

外六名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

(略称)以下においては、東京拘置所長を「所長」、甲野花子を「花子」、甲野清子を「清子」、甲野芳子を「芳子」、甲野樹を「樹」、甲野信平を「信平」、乙川美和を「美和」、甲野次郎を「次郎」、乙川三郎を「三郎」という。

第一  請求

被告は、原告に対し、金三七二万円及びこれに対する平成四年四月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、死刑確定者として東京拘置所に収容されている原告が、監獄内での接見・信書の発受等外部交通の制限、図書等の閲読の制限、特殊房への拘禁及び利益処遇の不実施の所長の原告に対する各処分が違法であり、これにより原告は多大な肉体的・精神的苦痛を受けたとして、被告に対して慰謝料の支払いを請求する事案である。

一  原告の主張

1  原告の地位

原告は、死刑判決の言渡しを受けて、東京拘置所に拘置されている死刑確定者である。

2  死刑確定者の法的地位

(一) 憲法は死刑確定者の基本的人権を制限する規定を設けていない以上、死刑確定者の憲法上の地位は一般市民と同一であり、法律の定める手続によらなければその自由を奪われない(憲法三一条)。

そして、死刑確定者は、死刑の執行に至るまで監獄内での拘置を受忍しなければならないが(刑法一一条)、その拘置の目的を明記した法律の規定はなく、刑の執行に至るまで本人の身柄を確保することを唯一の目的としていると解すべきであり、右目的達成に必要な限度での制約の範囲外においては、一般市民としての自由を保障されていると解される。そして監獄法九条は、死刑確定者について、別段の規定がない限り刑事被告人の規定を準用しているが、監獄法及び同法施行規則には別段の規定は存しないことから、憲法上はもちろん、法律上も、両者を同等に扱うべきことを定めているものと解することができる。

(二) 右拘置目的の達成のためには、施設の正常な機能を維持する必要があるから、死刑確定者は移動の自由のみならず施設の規律秩序を維持するためにその他の自由の制限も受忍しなければならない。また、施設の事務的能力の限界も基本的人権の制限事由となりうる。したがって、死刑確定者の基本的人権の制限事由となりうるのは、①本人の身柄確保の阻害、②施設の規律秩序の阻害、③施設の事務的能力の限界の三点に限られる。

3  本件各処分の経緯とその違法性

(一) 原告は、爆発物取締罰則等違反等被告事件により、一、二審で死刑の判決を受け上告したが、昭和六二年三月二四日に上告棄却の判決を言い渡され、同年四月二一日右死刑判決は確定した。同月二七日に原告を収容している東京拘置所の所長は原告を死刑確定者として処遇する旨言い渡し、原告の処遇は同日以降変更された。

(二) 外部交通の制限について

(1) 第一処分

① 花子は、原告が未決の際に友人として交流していたが、昭和六二年四月七日に原告と婚姻して夫婦となった。

② 所長は、死刑確定を理由に昭和六二年四月二七日、原告の外部交通については、①原告の外部交通の相手方は、原則として親族及び再審請求又は現在継続中の民事訴訟の代理人たる弁護士で、原告が予め申請して許可を得た者に限定する、②弁護士接見も含めて接見は一日一回以内とする、③裁判所宛の発信も含めて発信は一日二通、一通七枚以内とし、受信数は制限しない、と変更した。

③ 原告は、同月二八日、外部交通許可申請書を提出して花子との間の外部交通の許可を求めたが、所長は右同日、「拘禁目的に反する」として右申請を不許可にした。以後花子は数回接見を申込み、あるいは原告への手紙を出したが、所長はいずれも不許可とした。

同年八月五日、所長は右取扱いを一部変更して、接見及び信書の発受は月二回以内に限り、郵送による物品の授受は認めないとの制限を付した上で、原告の花子との外部交通を許可した。

④ 本件各措置により、原告は昭和六二年四月二七日以降、花子と十分に接見や文通を行うことができず、また物品の授受にも不便を強いられ、精神的苦痛を受けた(なお本訴においては平成四年四月二六日までの五年間の精神的苦痛について請求する。)。右苦痛を金銭で慰謝するには金一〇万円が相当である。

(2) 第二処分

① 清子は、昭和五八年四月一四日に原告と養子縁組をして原告の養母となった者、芳子は清子の子、樹及び信平は芳子の子である。また美和及び次郎は、原告が未決のとき友人として交流していたところ、それぞれ昭和六二年三月二六日及び同月三〇日に清子と養子縁組をして原告の親族になった者、三郎は美和の子で、原告が名付親になった者である。

② 原告は、昭和六二年五月六日、外部交通許可申請書を提出して、清子、次郎、芳子、美和及び樹について外部交通の許可を求めたが、所長は同月八日、「拘禁目的に反する」として右申請を不許可にし、以後、右各人らの接見申込みあるいは原告への手紙をいずれも不許可としている。

また、原告は平成二年四月一一日、外部交通許可申請書を提出して信平及び三郎について外部交通の許可を求めたが、所長は同月一三日、「拘禁目的に反する」として右申請を不許可にした。

③ 本件各措置により、原告は昭和六二年四月二七日以降養親族と全く交通することができず、精神的苦痛を受けた(なお本訴においては平成四年四月二六日までの五年間の精神的苦痛について請求する。)。右苦痛を金銭で慰謝するには金七〇万円が相当である。

(3) 右第一及び第二処分の違法性 ① 外部交通の自由は憲法二一条、一三条により保障されていると解されるから、国家が在監者の外部交通を制限するためには、そのことを明記した法律上の規定を必要とし、かつその制限は他の憲法上の法益を保護するため必要かつ合理的とされる範囲を越えてはならないと解される。

② 在監者の接見及び信書の発受について定めた監獄法四五条一項、四六条一項は「之ヲ許ス」と規定し、許可制という制約の下で在監者の接見及び信書の発受を原則として許すことを定めた規定であり、死刑確定者も在監者であることから、これが死刑確定者にも適用され、所長は死刑確定者についての接見及び信書の発受を原則として許可しなければならず、例外的に、①その接見や信書の発受が逃亡その他の違法行為に利用されようとしている形跡が認められる場合、②その接見や信書の発受を許した場合に施設の規律秩序が阻害される事態が生じる確率と、かかる事態が生じない確率とを比較し、前者が後者を相当に上回っていると認められる場合(すなわち、施設の規律秩序の維持上放置できない程度の障害が生じる相当の蓋然性があると認められる場合)、③その接見や信書の発受が施設の事務能力から合理的に割り出された接見回数や発信通数等の一般的制限を超えるものであり、かつその超過を許すべき特別な事情も存しない場合に限り、不許可処分をなす裁量権を有するにすぎないと解される。

また、監獄法は死刑確定者についての物品授受の許否について、接見信書の場合より幅広い所長の裁量権を認めているが(同法五二条、五三条)、物品授受の相手方については原則として制限しておらず、所長がこれを制限できるのは、その相手方との間で逃亡等の違法な行為を共謀している形跡が認められる場合等極めて例外的な場合に限られるべきである。

③ 本件においては、過去に花子や清子らと原告との交通によって原告の身柄の確保や施設の規律秩序が阻害される事態が生じたことはなく、また、右交通の目的は、夫婦または親族としての愛情を育て、原告の獄中生活や再審訴訟等の支えを得るためであるから、右各交通は前記各制限事由のいずれにも該当せず、右不許可処分及び外部交通の回数や方法の制限を行う正当事由は存しない。

また、原告と同様に未決の時に獄外の女性と結婚した者や獄外の友人と養親族になった者については、その女性や養親族が熱心な死刑廃止運動の活動家であるにもかかわらず、同人との外部交通を許可していることに比べて、本件各措置は裁量行為に要求される平等原則(憲法一四条)に明らかに違反している。また、同様の事例は名古屋拘置所においても認められ、死刑確定者の外部交通の取扱いが施設間で異なるべき合理的理由がない以上、他の施設の処遇との関係でも本件各措置は裁量行為に要求される平等原則に明らかに違反している。

④ 以上述べたところにより、東京拘置所長が原告に対してした第一及び第二の処分は、憲法一四条、監獄法四五条一項、四六条一項、五二条及び五三条一項並びに市民的及び政治的権利に関する規約(以下「B規約」という。)の諸規定(一〇条一項、一七条一項、一八条、一九条等)に違反し違法である。

(三) 図書閲読の制限

(1) 第三処分

① 原告は、昭和五三年六月二三日、弁護士から「矯正関係裁判例集」の差入れを受け、抹消されることなくその閲読を許可されていた。

原告が右書籍を一旦宅下げし、昭和六二年四月一八日に船木友比古弁護士(以下「船木弁護士」という。)から再度差入れを受けたところ、所長は、同月二四日、右書籍の一六カ所七四行を閲読不許可とし、さらに右部分の抹消不同意を理由に右書籍全部の閲読を不許可とした。

その後、同年七月二八日、船木弁護士から右書籍のコピーの差入れを受けたところ、所長は同年八月八日、右一九カ所を抹消した上これを原告に交付した。

右抹消された箇所は、死刑確定者が死刑の違憲・違法性を争った訴訟の判決文の一部で、死刑の執行方法について論じた部分であった。

② 原告が右措置によって受けた精神的苦痛を金銭で慰謝するためには金五万円が相当である。

(2) 第四、第五処分

① 原告は、死刑確定前から「ポケット註釈全書8改訂監獄法」及び「基本法コンメンタール新版・刑法」の差入れを受け、ともに抹消されることなく閲読を許可され、以来これを手元において閲読していたが、昭和六二年四月二七日、所長は死刑の確定を理由に右各書籍を強制領置した。そこで、原告が舎下げ手続きをとったところ、所長は、同月二八日、「ポケット註釈全書8改訂監獄法」については六カ所二九行の、「基本法コンメンタール新版・刑法」については一カ所五行の閲読をそれぞれ不許可とし、原告が各抹消に同意したところ、所長は当該箇所をそれぞれ抹消の上、原告に交付した(「ポケット註釈全書8改訂監獄法」についての閲読不許可処分を「第四処分」、「基本法コンメンタール新法・刑法」についての閲読不許可処分を「第五処分」という。)。

右各抹消された箇所は、第四処分については監獄法七一条及び七二条を註釈した部分、第五処分については刑法一一条を註釈した部分であった。

② 原告が右各処分によって受けた精神的苦痛を金銭で慰謝するためには、第四処分については金五万円、第五処分については金一万円が相当である。

(3) 第六処分

① 原告は、昭和五五年二月一八日、「死刑囚の記録」を所内購入したところ、所長は「規律及び施設管理上の支障がある」として大量の抹消をした上でその閲読を許可した。なお、右抹消を免れた部分には、東京拘置所に医師として勤務していた右書籍の著者が、自ら接した死刑確定者の様子や死刑制度の問題点等が記載されていた。

② その後、原告が、昭和六二年五月二三日舎下げの手続をとったところ、所長は、同月三〇日、右書籍の閲読を不許可とした。

③ 原告が右②記載の処分によって受けた精神的苦痛を金銭で慰謝するためには、金一〇万円が相当である。

(4) 右第三から第六処分までの違法性

① 憲法二一条は、表現の自由に含まれる具体的権利として図書閲読の自由も保証しており、国家が在監者の図書閲読を制限するにはそのことを明記した法律の規定を必要とするのであり、かつその制限は他の憲法上の法益を保護するために必要かつ合理的と認められる範囲を超えてはならない。

② 在監者の図書閲読の取扱いを定めた監獄法三一条は、許可制という制約の下で在監者の図書閲読を原則として許すことを定めた規定であり、この規定は死刑確定者にも当然に適用されるから、所長は死刑確定者の図書閲読を原則として許可しなければならず、例外的に①その図書の閲読が逃亡その他の違法行為に利用されようとしている形跡が認められる場合、②その図書の閲読を許した場合に施設の規律秩序が阻害される事態が生じる可能性と、それが生じない確率を比較して、前者が後者を相当に上回っていることが認められる場合(すなわち、その図書の閲読を許すことにより施設の規律秩序の維持上放置することができない程度の障害が生じる相当の蓋然性があると認められる場合)、③その図書の閲読が、施設の通常の事務能力から合理的に割り出された所持冊数や閲読期間等の一般的制限を超えたものであり、かつその超過を許すべき特別の事情も存しない場合、の各場合に限り、不許可処分をなす裁量権を有すると解される。

③ これを右各処分についてみれば、原告が右各図書を従前閲読したことにより、原告の身柄の確保や施設の規律秩序が阻害される事態が生じたことはなく、右各処分はいずれも右各制限事由には該当しないものである。さらに原告は、右各処分がなされた時点で既に各書籍を相当期間閲読しており、死刑の執行方法や死刑確定者の日常生活等について相当詳しい知識を有していたのであるから、右各処分がなされた当時、右各書籍の閲読による精神的・心理的動揺から原告が規律違反などを犯す可能性は極めて低かった。

よって、右各書籍の閲読を不許可とし、または制限した右各処分は監獄法三一条一項に反し、違法である。

(四) 機関誌類の閲読不許可(第七から第一六、第一九及び第二〇処分)

(1) 事実関係

① 第七処分

ⅰ 原告は、未決のときに、原告及び原告の刑事事件の相被告人らの救済と支援のために活動する市民団体で、裁判傍聴や機関誌の発行等を活動内容とする「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃と闘う支援連絡会議」(以下「支援連」という。)の機関誌「支援連NEWS」を一号から六五号まで閲読していたが、昭和六二年七月一四日にその六八号及び六九号、同年一〇月三日に七一号及び七二号の差入れを家族から受けたところ、所長は同日「拘禁目的に反する」として、すべての閲読を不許可とした。

ⅱ 原告が右処分によって受けた精神的苦痛を金銭で慰謝するためには金四万円が相当である。

② 第八処分

ⅰ 原告は、未決のときに、人権擁護の見地から思想・信条を問わずに被疑者・被告人を救援することを目的とした市民団体で、弁護士選任の援助と機関誌の発行を主な活動内容とする「救援連絡センター」(以下「センター」という。)の機関誌「救援」を一号から二一五号まですべて閲読していたが、昭和六二年八月三日、その二一七号から二一九号までの差入れを家族から受けたところ、所長は同日「拘禁目的に反する」としてすべての閲読を不許可とした。

ⅱ 原告が右処分によって受けた精神的苦痛を金銭で慰謝するためには金三万円が相当である。

③ 第九処分

ⅰ 原告は、在監者及び出獄者の権利の確立等を目的に設立された組合で、在監者の人権状況の調査と機関誌の発行による宣伝・啓蒙活動を主な活動とする「統一獄中者組合」の組合員であり、未決のとき同組合の機関誌である「監獄通信」を一号から九号まですべて閲読していたが、昭和六二年八月三日、その九号及び一〇号の差入れを家族から受けたところ、所長は同日「拘禁目的に反する」としてすべての閲読を不許可とした。

ⅱ 原告が右処分によって受けた精神的苦痛を金銭で慰謝するためには金二万円が相当である。

④ 第一〇処分

ⅰ 原告は死刑廃止を目指して結成された団体で機関誌の発行による宣伝、啓発活動を主な活動内容とする「日本死刑囚会議=麦の会」(以下「麦の会」という。)の正会員であり、未決のとき同会の機関誌「麦の会通信」を一号から三八号まで、「ひろば」を一号から二九号まですべて閲読していたが、昭和六二年五月二五日に「麦の会通信」三九号、同年七月六日に「麦の会通信」四〇号及び「ひろば」三三号、同年一〇月三〇日に「麦の会通信」四二号の差入れを家族等から受けたところ、所長は各同日「拘禁目的に反する」としてすべての閲読を不許可とした。

ⅱ 原告が右処分によって受けた精神的苦痛を金銭で慰謝するためには金四万円が相当である。

⑤ 第一一処分

ⅰ 原告の刑事事件の相被告人であった丙沢弘子の家族を中心として宮城県で活動する市民団体で、その目的、活動内容は支援連とほぼ同様である「彼らを生きて取り戻す会」のメンバーが発行している個人誌「花束通信」一号が、昭和六二年七月一〇日、家族から差し入れられたが、所長は同日「拘禁目的に反する」として閲読を不許可とした。

ⅱ 原告が右処分によって受けた精神的苦痛を金銭で慰謝するためには金一万円が相当である。

⑥ 第一二処分

ⅰ 右「彼らを生きて取り戻す会」の機関誌「あしたば」一号が昭和六二年七月一〇日に、同誌二号及び三号が同年一〇月三日に、七号が昭和六三年五月三〇日にそれぞれ原告に対して家族から差し入れられたが、所長は各同日に「拘禁目的に反する」としてすべての閲読を不許可にした。

ⅱ 原告が右処分によって受けた精神的苦痛を金銭で慰謝するためには金四万円が相当である。

⑦ 第一三処分

ⅰ 原告は、未決のとき、「彼らを生きて取り戻す会」と同趣旨の市民団体である「反日を考える会(宮城)」の機関誌「プチの大通り」を一号から二六号まですべて閲読していたが、昭和六二年六月二七日、同誌二七号の差入れを家族から受けたところ、所長は同日「拘禁目的に反する」としてその閲読を不許可とした。

ⅱ 原告が右処分によって受けた精神的苦痛を金銭で慰謝するためには金一万円が相当である。

⑧ 第一四処分

ⅰ 原告は、昭和六三年四月一三日、福岡市在住の麦の会協力会員が死刑廃止を目指して結成した市民団体で機関誌の発行による宣伝、啓発活動を活動内容とする「死刑廃止たんぽぽの会」(以下「たんぽぽの会」という。)の機関誌「わたげ通信」一号の差入れを家族から受けたが、所長は同日「拘禁目的に反する」として閲読を不許可とした。

ⅱ 原告が右処分によって受けた精神的苦痛を金銭で慰謝するためには金一万円が相当である。

⑨ 第一五処分

ⅰ 原告は、未決のとき、死刑廃止を目指して大阪で結成された市民団体で機関誌の発行による宣伝、啓発活動を主な活動内容とする「かたつむりの会」の機関誌「死刑と人権」を一号から四〇号まですべて閲読していたが、平成元年四月二四日、同誌五〇号の差入れを家族から受けたところ、所長は同日「拘禁目的に反する」として閲読を不許可にした。なお、当時名古屋拘置所においては死刑確定者が同誌の最新号を閲読することを全く制限していなかった。

ⅱ 原告が右処分によって受けた精神的苦痛を金銭で慰謝するためには金一万円が相当である。

⑩ 第一六処分

ⅰ 原告は、昭和六三年九月一九日、死刑廃止の第一歩として死刑の執行停止を実現することを目指して結成された市民団体で署名運動と機関誌の発行による宣伝、啓発活動を主な活動内容とする「死刑執行停止連絡会議」の機関誌「死刑停止会議」〇号(創刊準備号)の差入れを家族から受けたが、所長は同日「拘禁目的に反する」として閲読を不許可とした。

ⅱ 原告が右処分によって受けた精神的苦痛を金銭で慰謝するためには金一万円が相当である。

⑪ 第一九処分

ⅰ 原告は、平成三年三月二六日、船木弁護士から「監獄通信」九号及び一〇号、「プチの大通り」二七号、「ひろば」三三号、「救援」二一七号から二五四号まで、「あしたば」創刊号から一〇号まで、「麦の会通信」三九号から四三号まで、四五号、四六号、四八号から五四号まで、五六号から六一号まで、「花束通信」一九八七年五月号、同年一二月号、一九八八年一月号から九月号まで、同年一一月号及び一二月号、一九八九年一月号から一二月号まで、一九九〇年一月号から五月号まで、「支援連NWES」六八号から一〇八号までの差入れを受けたが、所長は平成三年四月八日、すべての閲読を不許可とした。

ⅱ 原告が右処分によって受けた精神的苦痛を金銭で慰謝するためには金一四三万円が相当である。

⑫ 第二〇処分

ⅰ 原告は、平成元年一〇月二日、花子から「支援連NEWS」六九号から九四号までに掲載された同人の投稿文(原告の近況報告を内容とするもの)のコピー綴りの差入れを受け、所長は一カ所一九字を抹消した上で同月一二日、閲読を許可した。

ⅱ しかし、平成三年四月六日、花子から「支援連NEWS」九五号から一一二号までに掲載された同人の投稿文(前に同じ)のコピー綴りの差入れを受けたところ、所長は同月一八日、閲読を不許可とした。

ⅲ 原告が右ⅱ記載の処分によって受けた精神的苦痛を金銭で慰謝するためには金一万円が相当である。

(2) 右各処分の違法性

① 所長が死刑確定者の図書閲読を制限しうるのは(三)(4)②記載の制限事由に該当する場合に限ることは(三)(4)記載のとおりであるが、本件各機関誌類はすべて合法的で穏当な内容のものであって、右制限事由のいずれにも該当しないものである。また、右各機関誌類の内容及び原告が死刑確定前に右各会のメンバーと交流し、または右各機関誌類を閲読した結果、原告の身柄の確保や施設の規律秩序が阻害される事態は一度も生じなかったのであるから、原告が右各機関誌類を閲読することにより精神的・心理的動揺をきたして規律違反を犯す可能性は極めて低かった。

② また、右各機関誌類の内容に拘禁目的類を阻害する部分があるとしても、所長は当該部分の抹消により対処すべきであり、閲読に支障がない部分を含めてすべての閲読を不許可とするのは所長の裁量権の逸脱であるし、右各閲読を不許可とする一方で発行趣旨や記載内容が類似する他の図書の閲読は許可しており、かかる取り扱い上の差別を必要とする特別の事情は存在していなかったのであるから、右各処分は不合理なものであるというべきである。

よって、右各機関誌類の閲読を不許可とした右各処分は、監獄法三一条一項に違反し違法である。

(五) 特殊房拘禁(第一七処分)

(1) 事実関係

① 所長は、昭和六二年四月二七日以降「自殺の恐れ」を理由として、原告を一般房とは構造が異なる特殊房(第二種独居房)に拘禁している。しかも拘禁にあたってその要否を判定するための専門医師による診察等を全く実施せず、現在まで一度も実施していない。特殊房は、天井に囚人を常時監視するためのテレビカメラを設置し、窓には穴明き鉄板を貼るなどした独居房であるが、房の設置場所や窓の閉鎖構造等のため、通風性は一般房の二〇〇分の一程度、採光性は一般房の七分の二程度、直射日光の入射量は一般房の半分以下、眺望性は一般房の半分以下であり、房内の気積も昭和三年六月司法省行刑局長通牒甲九七八号「刑務所建築準則内規制定ノ件」が定める独居房の標準気積の約七二パーセント程しかない等生活条件は一般房と比べて極めて劣悪である。

② 右特殊房での拘禁によって、原告は夏は蒸し風呂に閉じ込められたような状態、冬は冷蔵庫に閉じ込められたような状態に置かれ、眺望の阻害や房の暗さ等による閉塞感、天井のテレビカメラによる圧迫感・緊張感に苦しめられた(なお本訴においては昭和六二年四月二七日から平成四年四月二六日までの五年間について請求する。)。右苦痛を金銭で慰謝するためには金五〇万円が相当である。

(2) 右処分の違法性

① そもそも個人の尊重を定め、残虐な刑罰を禁止した現行憲法の下では、監獄法一五条に基づいて厳正独居拘禁(他の在監者との交通を一切遮断する独居拘禁)を死刑確定者に適用することは例外的な場合に制限され、雑居を許すと逃亡や規律違反行為が発生する相当の蓋然性が認められる場合以外は、死刑確定者に厳正独居拘禁を強制することは許されない。

② 死刑確定者の拘禁目的は身柄の確保のみにあると解すべきであり、死刑確定者もプライバシー権を有するのであるから、監房内での死刑確定者に対する監獄当局の監視は、本人の身柄を確保しまたは施設の規律秩序を維持するために必要かつ合理的と認められる限度を超えることはできない。

そして、在監者の間で監房の居住性に著しい差別があってはならず、その居住性は「健康で文化的な最低限度の生活」に足りる水準を下回ってはならない。

また、死刑は生命の断絶のみを刑の内容としているのであるから、自殺は死刑の目的に反せず、精神疾患等のため発作的に自殺を図る危険性がある場合に人道的措置として自殺防止を図る以外は、自殺防止は死刑確定者の人権の正当な規制目的とはなりえない。

以上に加えて、右特殊房が「健康で文化的な最低限度の生活」というに値せず、最小限のプライバシーさえ存しない生活を在監者に強いるものであり、しかも不当な目的に利用される等の濫用の危険がつきまとうものであることに鑑みれば、所長が右特殊房に死刑確定者を自殺防止の目的で拘禁することができるのは、①死刑確定者が心神耗弱またはそれに準じる状態にあり、発作的に自殺を図る高度の蓋然性があると医師が診断した場合、②心神の耗弱の有無に関わりなく、死刑確定者が現に自殺を企図しつつあると認められる場合、に限られる。

また、右特殊房での拘禁は憲法が予定する通常の拘禁をはるかに上回る自由の侵害その他の不利益を死刑確定者に課すものであるから、所長が死刑確定者を右特殊房に拘禁するためには、そのことについて所長の権限及び運用基準を明定した法令の規定が必要である。

③ⅰ しかるところ、在監者を前記の内容の特殊房に拘禁し、また、房内での在監者の行動をテレビカメラを用いて連続的に、かつ相当長期間にわたって監視することについて、当局の権限及びその運用基準を明定した法令の規定は存在しないから、原告を長期間にわたり右特殊房に拘禁しつづけた所長の行為は、憲法三一条に反し違法である。

ⅱ 仮に憲法三一条に違反しないとしても、原告は精神的に全く健全であり、過去に自殺を図った前歴もなく、将来的にも原告が衝動的に自殺を図る可能性は極めて低く、また原告を右特殊房に拘禁することの要否を判定するための専門医の診察を実施していないから、右②記載の二つの事由に該当しないことは明らかである。また大半の死刑確定者は一般房に拘禁されている。

よって、原告を長期間にわたり右特殊房に拘禁しつづけた所長の行為は、プライバシー権を違法に侵害し(憲法一三条違反)、かつ房の居住性に関して平等の処遇を受ける権利(憲法一四条)、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(憲法二五条)を違法に侵害したものである。

(六) 利益処遇の不実施(第一八処分)

(1)① 東京拘置所に在監する死刑確定者は、その慰安のため定期的にテレビや映画を見、あるいは特別な食事をする機会を与えられているにもかかわらず、所長は、昭和六二年四月二七日以降、右機会を原告に一度も与えていない。

② 原告が右処置によって受けた苦痛を金銭で慰謝するためには金一五万円が相当である(なお本件においては昭和六二年四月二七日から平成四年四月二六日までの五年間について請求する。)。

(2) 右不実施の違法性

憲法一四条は、在監者の処遇の平等も命じており、不合理な差別を禁じているから、合理的理由がないかぎり在監者を処遇の上で差別することはできないと解されるところ、所長が右利益処遇を実施するにあたり、原告を除外すべき合理的理由はないから、右利益処遇の不実施は憲法一四条に反し違法である。

仮に、原告を集団処遇に参加させることができない合理的理由があるとしても、右利益処遇は独居房でも行うことが可能であり、かつその実施が原告の精神状態の安定に資するものであることは明らかであるから、所長は死刑確定者の間の処遇の平等を図るため、原告に右利益処遇を実施する義務があるというべきである。

(七) 原告は、原告代理人二名に、本件の弁護士費用として各二〇万円の支払を約しており、これは本件各処分と相当因果関係があるから、被告は右額につき原告に賠償すべき義務がある。

(二) 被告の主張

1  原告の地位

原告の主張1は認める。

2  死刑確定者の法的地位

(一) 原告の主張2は争う。

(二) 死刑確定者の法的地位

死刑確定者の拘禁は、固有の意味の刑罰ではないが、死刑の執行行為に必然的に付随する前置手続として、刑法自体により認められた一種特別な拘禁である。そしてこの拘禁は、刑罰の執行そのものではなく将来の社会復帰を前提にした教育的効果を目的とするものではない点で一般の受刑者の拘禁と異なり、また有罪が確定した者の拘禁で、罪証湮滅の防止を考慮する余地がない点で未決勾留による拘禁とも異なる。

すなわち、死刑確定者の拘禁は、死刑が執行されるまでの間、逃亡や自殺等によってその執行ができない事態とならないよう、確実にその身柄を確保し、かつ死刑確定者に対する一般人の感情を慮って死刑確定者を社会から厳格に隔離することを目的とするものである。

さらに、死刑が生命刑であり、将来の社会復帰を予定されておらず、いずれ生命を断たれることを甘受しなければならないのであるから、死刑確定者は絶望感にさいなまれて自暴自棄となり、あるいは極度の精神的不安定状態を来たし、自己の生命を賭けて逃亡を試みるなどして将来の執行を困難にするおそれがないといえないばかりか、拘禁施設の現場担当者の管理に支障困難を生ぜしめる危険性が他の被拘禁者に比すべくもなく高いものであることが容易に推認される。そのため、死刑確定者の処遇にあたっては精神状態の安定を図るべく、特段の配慮を要するというべきである。

(三) 死刑確定者の自由の制限について

監獄法令の在監者に関する各規定は、その拘禁の目的及び性質を勘案して、在監者の種類ごとに相応かつ適正な処遇がなされるべきことを要求しているから、各在監者の種類ごとの処遇の内容は異なったものとならざるをえず、このことは、在監者一般についての規定に基づく場合及び他の種類の在監者に適用すべき規定の準用を受ける場合においても同様である。

これを死刑確定者についてみれば、極めて例外的な場合にしか死刑確定者の自由を制限できないと解することは相当でなく、前記(二)の死刑確定者の拘禁の目的及び性質に照らして、移動の自由のみならずその他の自由に対しても、必要かつ合理的な範囲において制限しうるものというべきである。

そして右制限を行うべきか否かを決するに当たっては、当該自由を制限する必要性の程度と制限される自由の内容・性質・その制限の程度・態様、その制限によって死刑確定者が被る具体的な不利益等を慎重に比較衡量した上でその必要性を判断すべきであり、右判断は監獄内の実情に通じ、また刻々変化しうべき死刑確定者の動静と微妙な心理状態を迅速かつ的確に把握しうる立場にある当該監獄の長の裁量的判断に委ねられているものと解すべきである。

3  原告の素行及び支援者の動向について

(一)(1) 原告は、自己の刑事事件の第一審の公判過程において、再三にわたり出廷を拒否し、裁判長の訴訟指揮に従わずに退廷させられ、一審判決にも「再三の出廷拒否や、訴訟指揮にも従わずに多数回に及ぶ退廷・監置を受けるなどの法廷闘争を続け、改悛の情のないことを裏付けている」と指摘されており、原告が激しい法廷闘争を繰り返していたことを明らかにしている。

(2) また原告は「日帝支配打倒」をスローガンに監獄解体を標榜する「獄中者組合」と監獄解体及び獄中者解放を標榜する「共同訴訟人の会」の両組織が統合して獄中者及び出獄者の権利の確立と拡大を活動目的に結成された「統一獄中者組合」の一員であり、その運営委員となって規約作りを行うなど積極的にその運営に参画し、また死刑制度廃止と監獄法改正反対闘争に積極的に取り組んでいる「麦の会」の会員となり、これらの組織に加入している在監者及び外部の支援者と呼応して、施設の処遇の改善を求めると称して各種の不服申立を累行するなどいわゆる対監獄闘争を行っていたものであり、この一環として職員に暴行を働いたり、大声を発したり、ハンストを行うなどして、再三にわたり懲罰を科されてきた。

(二) 原告の支援者らも、原告の刑事裁判の最高裁判所の最終弁論期日の日程が決まって判決の確定の見通しが立ってからは、「死刑攻撃阻止」や「判決粉砕」等のスローガンを掲げ、ビラや信書によって死刑執行阻止に向けて共に闘う旨の意思を原告に伝えたり、東京拘置所に対する抗議行動等を度々行っており、また原告の死刑が確定してからは「死刑制度廃止」、「死刑執行阻止」、「生きて身柄を奪い返す」といったことをスローガンに、マスコミへの投書、国会議員や関係機関への陳情などに加え、なかにはテロ行為をほのめかす者もいた。

(三) 原告は、死刑判決が確定する直前には、死刑確定者となることを意識してかその動静に落ち着きが見られず、心情が不安定になっていることがうかがわれ、死刑確定者として処遇する旨の言渡しを受けてからしばらくの間は、その心情が特に不安定で、東京拘置所では突発的な行動に備え特別の警備体制を敷いた。

また、死刑確定後、その外部交通の相手方が制限されたことに対し、様々な方策によって外部との連絡手段を確保しようと腐心し、内容を限定して外部交通を許可された相手方である複数の弁護士への発信に、当該弁護士が受任している用務とは関係のない事項を記載して発信しようとしたり、実父との面会時においても、実父宛てに書く信書は実父に宛てたものであると同時に他の者にも宛てたものであると発言し、実父を窓口にして他の支援者との交通を画策していた。

(四) 加えて、日本赤軍等の不法集団が原告を含むいわゆる連続企業爆破事件の関係者の身柄の奪還を狙っているとの情報もあり、原告の身柄確保については予断を許さない状況にあることから、原告の死刑確定以来一貫して原告が外部支援者等と情報のやり取りをすることについては、細心の注意を払ってきているものである。

4  本件各処分の経緯及びその違法性について

(一) 原告の主張3(一)の事実は認める。

(二) 外部交通の制限について

(1) 第一処分

(認否)

①及び②の事実は認める。③の事実のうち、花子が数回東京拘置所に来所して接見を申し込んだことについては不知、その余は認める。④は争う。

(被告の主張)

所長が原告の花子についての外部交通を不許可にしたのは、原告と花子の婚姻関係(昭和六二年四月七日に届出がなされた。)は、原告が東京拘置所収監後、死刑が確定する直前に原告の外部交通の確保を目的として結ばれ、かつ花子は従前から原告の外部支援活動(死刑廃止運動)に関係し、原告と外部の支援関係者との間のいわゆるパイプ役的存在を継続しているものと判断し、死刑確定者の法的地位に照らして、外部交通を許可すべきものとは認められないと判断したためである。

また、昭和六二年八月五日に制限付きで許可したのは、原告においては死刑確定後約三か月を経過し日常の動静に落着きが客観的に認められ、花子においては原告の外部支援者との接触により原告の心情の安定に資するものと判断するには懸念が残ってはいたが、原告との外部交通を希望する状況において妻としての真情の一端が認められたことから、原告と花子の交通制限を一部緩和し、原告の心情の安定に資する内容または再審の準備に関する内容のものに限り、原告主張の制限の下に許可することにしたのである。

(2) 第二処分

(認否)

①の事実は認め、②の事実のうち清子らが東京拘置所を訪れ接見申込みをしたことについては不知、その余は認める。③は争う。

(被告の主張)

所長が養親族らとの外部交通を不許可にしたのは、清子、次郎、芳子、美和及び樹のいずれも原告が東京拘置所収監後に養子縁組に基づく養親となった者またはその養子であり、いずれも原告の外部支援活動(死刑廃止運動)に関係し、原告と外部の支援関係者との間のいわゆるパイプ役的存在を継続しているものと判断されたもので、本来法が予定した養子縁組とは目的を異にするものであると認められたため、死刑確定者の法的地位に照らし、外部交通を許可すべき者とは認められないと判断したためである。

また、芳子の実子である信平(当時七歳)及び美和の実子である三郎(当時二歳)については、右両名の外部交通を認めることはとりもなおさず子供を介して母親である芳子及び美和との外部交通を認めることになることは必至であり、原告の意図も同様であると判断したことから、芳子及び美和と同様の理由で、死刑確定者の法的地位に照らして外部交通を許可すべきものとは認められないとして不許可にしたものである。

(3) 右第一及び第二処分の適法性

(認否)

原告の、右各人との外部交通の目的については不知、その余は争う。

(被告の主張)

① 在監者の外部交通について定めた監獄法四五条一項、四六条一項、五二条及び五三条は、在監者一般に適用される規定であり、死刑確定者にも適用があるが、右規定のうち接見(四五条)及び信書の発受(四六条)については単に「之ヲ‥許ス」という文言になっているが、これらはいずれも出願があれば必ず許すという趣旨ではなく、在監者の種類ごとにその法的地位に基づく拘禁の目的及び性質を勘案してその許否を決することを規定した趣旨である。したがって、死刑確定者の拘禁目的及び性質である「死刑確定者を社会から厳格に隔離し、心情の安定の確保のための特段の配慮が必要であること」の観点からする制限は当然に許容されている。

また、宅下げ(監獄法五二条)及び差入れ(同法五三条)については「之ヲ許スコトヲ得」と規定し、これを受けて同法施行規則一四二条から一四六条(なお死刑確定者に適用があるのは一四二条及び一四六条である。)が定められているが、この解釈に当たっても、接見及び信書の発受と同様に解するのが相当である。

右法の趣旨に基づき発出された「死刑確定者の接見及び信書の発受について」と題する通達(昭和三八年三月一五日矯正甲第九六号矯正局長依命。以下「局長通達」という。)は、死刑確定者の拘禁を刑事被告人のそれとは全くその性格を異にするとの前提に立ち、死刑判決の確定力の効果として、その執行を確保するために拘置され、一般社会とは厳格に隔離されるべきであり、拘置所等における身柄の確保及び社会不安の防止等の見地からする外部交通の制限は、死刑確定者が当然に受忍すべき義務であるとし、さらに死刑確定者が罪を自覚し、精神の平安裡に死刑の執行を受けることとなるよう配慮されなければならないことは行政上の当然の要請であることから、心情の安定を害するおそれのある外部交通も制約されねばならないとして、具体的にはⅰ本人の身柄の確保を阻害し又は社会一般に不安の念を抱かせるおそれのある場合、ⅱ本人の心情の安定を害するおそれのある場合、ⅲその他施設の管理運営上支障を生ずる場合、にはおおむね許可を与えないとする一応の基準を示している。なお、この通達も右の場合を除きすべて許可すべきとするものではなく、これ以外の場合についても死刑確定者の拘禁目的及び性質を勘案した監獄の長の裁量的判断に委ねるものである。

なお、接見の実施回数及び信書の発信回数の制限については、他の在監者と異なり(監獄法五〇条、同法施行規則一二三条、一二四条、一二九条参照)死刑確定者には監獄法施行規則の定めはないが、だからといって死刑確定者について制限が許されないと解すべきではなく、死刑確定者の法的地位に基づく拘禁目的及び性質に照らして、受刑者と比較してより社会からの厳格な隔離が要請されるのであるから、監獄法五〇条の規定により接見の実施回数及び信書の発受の制限は当然に許されるものであるというべきである。

② 東京拘置所では、死刑確定者の拘禁目的及び性質並びに法及び通達の趣旨を踏まえて、少なくとも許可すべきではないとして局長通達で例示された三つのケースを前提に、死刑確定者の外部交通の相手方を原則としてⅰ本人の親族(ただし、収監後親族となった者で、外部交通の状況、親族となるに至った経緯等から、確定判決後の外部交通の確保を目的としていることが認められる者を除く。)、ⅱ本人について現に係属している訴訟の代理人たる弁護士、ⅲその他本人の心情の安定に資すると認められる者、についてのみ外部交通を許可することとし、ただⅳそれ以外の相手方である場合にも、裁判所、権限を有する官公署等あての文書あるいは訴訟の準備のための弁護士宛の文書を発信する場合など、その外部交通の目的に照らして、本人の権利保護のために必要かつやむを得ないと認められる場合にはこれを許可する取扱いとして局長通達の具体化を図っている。

このような取扱いが死刑確定者の拘禁の目的および性質に鑑みて、およそ社会一般の通念に照らして非常識であるとか不合理な取扱いであるとはいえないことは自明である。したがって、所長の個々の死刑確定者の接見及び信書の発受についての裁量権の行使が恣意にわたることなく取り扱われ、かつ判断の前提となる事実に誤認がないかぎりにおいては、濫用や逸脱があったとはいえず、適法と評価されるべきものであることは明らかである。

③ そして原告は、東京拘置所に収容されてから死刑確定までの間は、外部支援者の支援を受けて、東京拘置所におけるあらゆる処遇に対する不平不満を直接的な規律違反行為により発露するとともに、合法的手段である訴訟を累行するなどして、職員の職務意欲を減退させ、施設の管理機能を混乱させる目的で対監獄闘争を行っていたのであり、右原告の外部交通の申請を認め、外部交通の制限を緩和した場合には、今後も更なる緩和の出願を繰り返し、それがひいては所長が定めた取扱いの趣旨を没却するばかりでなく、拘置所の業務その他施設の管理運営上支障を来す相当の蓋然性が認められた。

本件第一及び第二処分の理由は前記のとおりであるから、これらは法令によって許容されている所長の裁量の範囲内で行われた適法な行為である。

(三) 図書閲読の制限

(認否)

(1) 第三処分

損害については争い、その余は認める。

(2) 第四、第五処分

いずれも損害については争い、その余は認める。なお、抹消告知日は第四、第五処分のいずれも昭和六二年五月八日である。

(3) 第六処分

損害については争い、その余は認める。

(4) 右第三から第六処分までの違法性についての主張は争う。

(被告の主張)

(1) 第三処分

所長が第三処分を行った理由は、「矯正関係裁判例集」中に死刑の執行方法を克明に表現した部分一九カ所七四行があり、昭和六二年四月二一日に原告の死刑判決が確定したことに伴い、同判例集をそのまま閲読させた場合には、死刑が確定した直後の原告の心情の安定を著しく害する障害を生じさせる相当の蓋然性が認められたためである。

(2) 第四、第五処分

所長が第四及び第五処分を行った理由は、「ポケット註釈全書(8)改訂・監獄法」については死刑の執行に関する監獄法七一条を註釈した部分六カ所二九行、「基本法コンメンタール新判・刑法」については刑法一一条の死刑に関する規定を註釈した部分一カ所五行について、これをそのまま閲読させた場合には、死刑が確定した直後の原告の心情の安定を著しく害する障害を生じさせる相当の蓋然性が認められたためである。

(3) 第六処分

所長が第六処分を行った理由は、「死刑囚の記録」は死刑確定者の心理描写あるいは日常生活等を克明に記述した内容に終始していたことから、これをそのまま閲読させた場合には、死刑が確定した直後の原告の心情の安定を著しく障害を生じさせる相当の蓋然性が認められたためである。

(4) 右各処分の適法性

① 在監者の文書・図書の閲読について定めた監獄法三一条は、出願があれば必ず許すという趣旨ではなく、同条二項及び監獄法施行規則八六条一項が規定するように、在監者の種類ごとにその法的地位に基づく拘禁の目的及び性質を勘案し、その拘禁目的及び監獄の規律又は秩序維持に支障がない場合に限り閲読を許すこととし、その許否については監獄の長の裁量に委ねている趣旨である。そして右規定は、在監者一般に関する規定であるから死刑確定者にも適用される。そして死刑確定者の図書閲読の許否に当たっては、規律秩序の維持の観点の他、死刑確定の拘禁の目的及び性質である「死刑確定者を社会から厳格に隔離し、心情の安定の確保のための特段の配慮が必要であることなど」を勘案した観点からも検討されるべきである。

もっとも右監獄の長の裁量権の行使も、恣意にわたることが許されないのは当然であり、この運用が適正になされることを目的として、「収容者に閲読させる図書、新聞紙等取扱規定」(昭和四一年一二月一三日矯正甲一三〇七法務大臣訓令、以下「取扱規定」という。)及び「収容者に閲読させる図書、新聞紙等取扱規定の運用について」(昭和四一年一二月二〇日矯正甲一三三〇矯正局長依命通達、以下「運用通達」という。)が出されている。

右取扱規定によれば、死刑確定者に閲読させる図書、新聞紙等は、①身柄の確保を阻害するおそれのないもの、②紀律を害するおそれのないものに該当し、かつ死刑確定者の心情の安定を害するおそれのないものでなければならないとされており、また収容者に閲読させることができない文書図画であっても、所長が適当と認めるときは、支障となる部分を抹消し、または切り取った上でその閲読を許すことができるとしている。また、運用通達も、閲読の許否を決するにあたっての留意事項を掲げた上、当該図書等の閲読が拘禁目的を害し、あるいは当該施設の正常な管理運営を阻害することとなる相当の蓋然性を有するものと認めるときは閲読を許さないと定めている。

このような死刑確定者の図書等の閲読の許否についての取扱いが、死刑確定者の拘禁目的及び性質に鑑みれば、およそ社会一般の通念に照らして非常識であるとか、不合理な取扱いであるとはいえないことは明らかであり、監獄の長の個々の裁量権の行為が恣意にわたることなく右のように取り扱われ、かつ判断の前提となる事実に誤認がない限り、所長の権限の濫用や逸脱があったとはいえず、適法と評価されるべきである。

② 第三から第六処分において閲読を制限した図書は、原告が未決拘禁時においては閲読を許可または一部抹消の上許可されていたものである。しかし、取扱規定及び運用基準には、拘禁の目的に応じた閲読の基準が定められているから、未決拘禁時に閲読が許可されていた記述内容が、その後の拘禁目的の相違、すなわち死刑確定者となったことによって心情の安定を害するものと判断され不許可となる場合があることは当然のことである。そして、いくばくかの生への望みが存していた未決拘禁時とは異なり、確定判決が言い渡された時点での心情の不安定は著しいものであることが経験則上明らかであったため、死刑執行時の詳細な記述を閲読した場合には、心情不安定はより増加し、突発的に異常行動に出たり職員の適法な職務行為に反発したりするおそれや、職員や他の在監者に対する暴行、施設の設備等の破壊といった粗暴行為を行うなどのおそれがあることは経験則上十分に予測されるのであるから、ひいては拘禁目的を害し、拘置所の正常な管理運営を阻害する相当の蓋然性を有すると判断して、抹消または閲読不許可処分にしたのであり、なんら違法ではない。

(四) 機関誌類の閲読不許可

(事実関係について)

(1) 第七処分

① 損害については争い、支援連の活動目的・内容は不知、その余は認める。

なお、「支援連NEWS」について、六八号及び六九号の差入年月日は昭和六二年七月八日であり、閲読不許可を告知したのは同月一三日である。また、同七一号及び七二号の差入年月日は同年九月二五日であり、閲読不許可を告知したのは同年一〇月二日である。

② 所長が第七処分を行ったのは、「支援連NEWS」が原告の支援組織の一つである支援連の会報であり、その過激な支援方法等をアピールする内容であったことから、これをそのまま閲読させた場合には、死刑が確定した直後の原告の心情の安定を著しく害するとともに、施設の規律及び秩序の維持上放置しがたい程度の障害を生じさせる相当の蓋然性が認められたため、これを閲読させるのは不相当と判断したためである。

(2) 第八処分

① 損害については争い、センターの活動目的・内容については不知、その余は認める。

なお、「救援」二一七号から二一九号の差入年月日は昭和六二年七月二二日であり、閲読不許可を告知したのは同月二八日である。

② 所長が第八処分を行ったのは、「救援」がいわゆる公安関係活動家に関わる刑事事件について、広く「救援活動」を行っている団体であるセンターの会報であり、同団体の活動状況及び反社会的活動である公安関係事件の正当化等を詳細に記述した内容であったことから、これをそのまま閲読させた場合には、死刑が確定した直後の原告の心情の安定を著しく害するとともに、施設の規律及び秩序の維持上放置しがたい程度の障害を生じさせる相当の蓋然性が認められたため、これを閲読させるのは不相当と判断したためである。

(3) 第九処分

① 損害については争い、統一獄中者組合の活動目的・内容については不知、その余は認める。

なお、「監獄通信」九号及び一〇号の差入年月日は昭和六二年七月二二日である。

② 所長が第九処分を行ったのは、「監獄通信」が前記「統一獄中者組合」の会報であり、同組織の活動状況及び対監獄闘争の煽動等を詳細に記述した内容であったことから、これをそのまま閲読させた場合には、死刑が確定した直後の原告の心情の安定を著しく害するとともに、施設の規律及び秩序維持上放置しがたい程度の障害を生じさせる相当の蓋然性が認められたため、これを閲読させることは不相当と判断したためである。

(4) 第一〇処分

① 損害については争い、「麦の会」の活動目的・内容については不知、その余は認める。

なお、「麦の会通信」三九号の差入年月日は昭和六二年五月二〇日、四〇号の差入年月日は同年六月二六日であり、閲読不許可を告知したのは同年七月三日である。また四二号の差入年月日は同年一〇月二三日であり、閲読不許可を告知したのは同月二九日である。さらに「ひろば」三三号の差入年月日は同年六月二六日であり、閲読不許可を告知したのは同年七月三日である。

② 所長が第一〇処分を行ったのは、「麦の会通信」は死刑廃止を目的に活動する「麦の会」の会報であり、「ひろば」は「麦の会」に加入している者たちの回覧であり、いずれも「麦の会」会員との交流を目的とした内容であるとともに、死刑制度を非人道・非合法とする内容であったことから、これをそのまま閲読させた場合には、死刑が確定した直後の原告の心情の安定を著しく害するとともに、施設の規律及び秩序の維持上放置しがたい程度の障害を生じさせる相当の蓋然性が認められたため、いずれも閲読させることは不相当と判断したためである。

(5) 第一一処分

① 損害については争い、「彼らを生きて取り戻す会」の活動目的・内容は不知、その余は認める。

なお、「花束通信」一号の差入年月日は昭和六二年七月三日である。

② 所長が第一一処分を行ったのは、「花束通信」が「彼らを生きて取り戻す会」なる組合の組合員による書簡コピー綴りで、死刑制度を非人道・非合法とする内容であったことから、これをそのまま閲読させた場合には、死刑が確定した直後の原告の心情の安定を著しく害するとともに、施設の規律及び秩序の維持上放置しがたい程度の障害を生じさせる相当の蓋然性が認められたため、これを閲読させることは不相当と判断したためである。

(6) 第一二処分

① 損害については争い、その余は認める。

なお、「あしたば」の差入年月日は、一号が昭和六二年七月三日、二号および三号は同年九月二五日、七号が昭和六三年五月一三日であり、二号及び三号の閲読不許可を告知したのは昭和六二年一〇月二日である。

② 所長が第一二処分を行ったのは、「あしたば」が「彼らを生きて取り戻す会」なる組合の会報であり、同組合が活動状況及び死刑制度を非人道・非合法とする内容である等の記述があったことから、これをそのまま閲読させた場合には、死刑が確定した直後の原告の心情の安定を著しく害するとともに、施設の規律及び秩序の維持上放置しがたい程度の障害を生じさせる相当の蓋然性が認められたため、これを閲読させることは不相当と判断したためである。

(7) 第一三処分

① 損害については争い、「反日を考える会(宮城)」の活動目的・内容は不知、その余は認める。

なお、「プチの大通り」二七号の差入年月日は昭和六二年六月一九日、閲読不許可を告知したのは同月二六日である。

② 所長が第一三処分を行ったのは、「プチの大通り」が「反日を考える会(宮城)」の会報であり、同会の活動状況及び死刑制度を非人道・非合法とする内容等の記述があったことから、これをそのまま閲読させた場合には、死刑が確定した直後の原告の心情の安定を著しく害するとともに、施設の規律及び秩序維持上放置しがたい程度の障害を生じさせる相当の蓋然性が認められたため、原告にこれを閲読させることは不相当と判断したためである。

(8) 第一四処分

① 損害については争い、「たんぽぽの会」の活動目的・内容は不知、その余は認める。

なお、「わたげ通信」一号の差入年月日は昭和六三年四月二日であり、閲読不許可を告知したのは同月七日である。

② 所長が第一四処分を行ったのは、「わたげ通信」が「麦の会・福岡定例会」の会報であり、同会の活動状況及び死刑制度を非人道・非合法とする内容等の記述があったことから、これをそのまま閲読させた場合には、死刑が確定した直後の原告の心情の安定を著しく害するとともに、施設の規律及び秩序維持上放置しがたい程度の障害を生じさせる相当の蓋然性が認められたため、原告にこれを閲読させることは不相当と判断したためである。

(9) 第一五処分

① 損害については争い、「かたつむりの会」の活動目的・内容及び他施設における取扱いの実情については不知、その余は認める。

② 所長が第一五処分を行ったのは、「死刑と人権」が「かたつむりの会」の会報であり、同会の活動状況及び死刑制度を非人道・非合法とする内容等の記述があったことから、これをそのまま閲読させた場合には、死刑が確定した直後の原告の心情の安定を著しく害するとともに、施設の規律及び秩序維持上放置しがたい程度の障害を生じさせる相当の蓋然性が認められたため、原告にこれを閲読させることは不相当と判断したためである。

(10) 第一六処分

① 損害については争い、「死刑執行停止連絡会議」の活動目的・内容は不知、その余は認める。

② 所長が第一六処分を行ったのは、「死刑停止会議」は「死刑執行停止連絡会議」の会報であり、同会の発足の経緯及び死刑制度を非人道・非合法とする内容等の記述があったことから、これをそのまま閲読させた場合には、死刑が確定した直後の原告の心情の安定を著しく害するとともに、施設の規律及び秩序維持上放置しがたい程度の障害を生じさせる相当の蓋然性が認められたため、原告にこれを閲読させることは不相当と判断したためである。

(11) 第一九処分

① 損害については争い、その余は認める。

② 所長が第一九処分を行った理由について、「監獄通信」、「プチの大通り」、「救援」、「あしたば」、「麦の会通信」及び「支援連NEWS」の内容については、これらについて前述したことと同じである。

なお、「ひろば」については、これが「麦の会」会員の回覧誌であり、同会員との交流を目的とした内容であり、会員間の意見交換に関するものが含まれていることから、外部交通の制限を潜脱するおそれがあるとともに、死刑制度を否定する内容等であった。また、「花束通信」については、その内容は外部交通を制限されている相手方からの一般的内容を伝える通信文を記載したものであり、外部交通の制限を潜脱する目的で作成されたものと認められ、外部支援者から原告に宛てられた信書とみるのが相当であった。

そこで、これらをそのまま閲読させた場合には、身柄奪還の期待感を抱く等して、死刑確定者である原告の心情の安定を著しく害するおそれがあるとともに、対監獄闘争を企図する等して、施設の規律及び秩序の維持上放置しがたい程度の障害を生じさせる相当の蓋然性が認められたため、原告に右機関誌等を閲読させることは不相当と判断して、その閲読を不許可とした。

(12) 第二〇処分

① 損害については争い、その余は認める。

② 所長が第二〇処分を行ったのは、「支援連NEWS」の抜粋コピーを一冊に合冊したものの内容が、原告の近況を報じるとともに、原告の支援を不特定多数に呼びかける内容のものであると認められたことから、これを閲読させた場合には、死刑確定者である原告の心情の安定を害するおそれがあると認められたため、これを閲読させることは不相当と判断したためである。なお、右抜粋コピーの審査にあたっては、そのコピーの内容のみをもって判断すべきではなく、支援連NEWS自体の発行趣旨をも含めて判断すべきである。

(右各処分の適法性について)

(1) 右各処分の違法性についての主張は争う。

(2) 前記のとおり各機関誌類はいずれも原告の支援組織の会報等であり、その活動状況や死刑制度そのものを非人道あるいは非合法と断定し、多種多様な手段を用いて死刑制度廃止あるいは死刑確定者の身柄の奪取を図るといった内容を記述したものであり、中には外部交通の制限を潜脱する目的を有すると認められるものもあり、死刑確定者がこれを閲読した場合には、その心情を乱し、あるいは施設の規律及び秩序への侵害行為を企図する恐れのあることが経験則上十分に予測され、原告についても例外とはいえない。また、所長としては、他の被収容者以上に外部との厳格な隔離を要する死刑確定者については特に注意して処遇をしているところ、いずれ死刑が執行されることを念頭に置いて、それまでの拘置を適正に行わなければならないのであり、もとより死刑制度を否定してその心情の安定を図ることは許されないことは明らかであるから、死刑確定者の拘禁目的及び性格を踏まえ、死刑の執行に至るまで適正な拘置を継続して実施するために相応の処遇を展開している矯正行政を阻害し、あるいはこれを没却するような外部からの情報は、その拘禁目的達成上、遮断せざるをえないことには十分な合理性がある。

(五) 特殊房拘禁(第一七処分)

(事実関係)

原告を特殊房に拘禁していること、特殊房の構造については基本的には認めるが、専門医師の診察等を実施していない点は否認し、その生活環境が劣悪である点、損害及び違法性についての主張は争う。

原告を死刑確定者として処遇することを開始した昭和六二年四月二七日以降、死刑確定者としてその身柄を確保するとともに、自殺事故等を防止するため、特に厳格な監視を要する者として、特別要注意区に収容し、緻密な動静視察を行い、現在まで至っている。

(右処分の適法性について)

(1) 在監者の拘禁形態について、監獄法は在監者の法的地位に応じて拘禁形態を定めているのではなく、単に独居拘禁と雑居拘禁の二形態を定めているにすぎず、死刑確定者の拘禁形態についても在監者一般についての規定である監獄法一五条が適用される。

監獄法一五条、同法施行規則二六条、二七条は、在監者の拘禁方法については独居拘禁を原則としており、独居拘禁及びその更新の可否の判断は、合理的に必要とされる範囲で所長の裁量に委ねられているというべきである。

在監者を独居拘禁に付するか否かを判断する際に、心身の状況を考慮すべきことは監獄法一五条及び同法施行規則二六条の規定から明らかである。そして、独居拘禁によって在監者の精神又は身体に害がないことの確認は、独居拘禁の期間の更新に当たり、加えて医務技官の巡視によって行われるが、最も重要なのは健康診断の実施であり、少なくとも三カ月ごとに一回、健康診断を受けさせねばならないとされており、監獄法は独居拘禁に付す際の医師による健康診断を義務づけておらず、独居拘禁に付された後の定期健康診断の実施によって、在監者の精神または身体に与える害を考慮すべきとしている。

東京拘置所では、右に述べたことを受けて、独居拘禁者に対しては同所の医師の資格を持つ医務部職員により定期健康診断を実施しているとともに、随時各種愁訴に応じて、各種の分野に専門的医療知識を有する右職員が診察に当たっている。

(2) そして原告の収容居房は第二種独居房であるが、これは独居房の一形態であり、自殺事故防止の観点から通常の独居房を若干変更したものにすぎず、その構造は通常の独居房の設備・構造のうち自殺の用に供されやすい箇所に、その居住環境を低下させないように配慮しつつ、改造を施したものである。

この採光、温度・湿度、通気については、これを通常の独居房と比較するとき、採光がわずかに劣っているものの、これについは室内照明で補い、居住環境についてその差異はほとんどない。また、わずかな差異があったとしても、身体・生命の安全確保のための自殺事故の未然防止という拘置所の必要性を考えた場合、被収容者の受忍限度内のものである。

また、テレビカメラの設置については、原告を収容している舎房には常に四〇名から四五名を拘禁しており、原告の収容居房に勤務する担当職員による巡回視察のみでは、当然のことながら逐一動静を視察することは極めて困難であることから、この視察の間隙を補助するために設置されており、これも自殺事故の未然防止の観点から被収容者の受忍限度内のものである。

なお、原告は独居房に長期拘禁されるにあたり、専門医師の診察を全く受けていないと主張するが、原告についても、その愁訴に応じて診察を実施し、あわせて健康診断を行っており、これらの各種の診察結果においても原告を独居拘禁から除外する特別な事由は見当たらない。

(六) 利益処遇の不実施(第一八処分)

(認否)

慰安のためという点は否認し、損害及び違法性についての主張は争い、その余は認める。

(被告の主張)

(1) 東京拘置所では、死刑確定者のうち心情・動静等が比較的安定したと認められる者については、通常の独居房に収容した上で、集団処遇を施し、努めて処遇の緩和を図り、これに参加する死刑確定者の交流による相互の働きかけにより、さらなる心情の安定を期しているが、原告については、この処遇を実施していない。

(2) 原告は東京拘置所入所以来一貫して処遇改善、死刑制度の廃止を訴え、対監獄闘争を行ってきた経緯に鑑みると、現時点においても同様の行動に出るおそれが十分に認められ、原告の心情が安定しているとは到底認めがたく、他方原告を集団処遇の場へ参加させることを許可した場合、原告のかかる動静が他の死刑確定者に与える影響を勘案すれば、原告を死刑確定者の集団処遇に参加させることは到底認められず、このような観点から原告に対しては個別処遇を継続しているものであり、これを違法と評価することはできない。

(七) 原告の主張(七)弁護士費用について、事実関係は不知、賠償義務については争う。

三  原告の反論

1  死刑確定者の法的地位

(一) 死刑確定者の拘禁目的について

(1) 被告は、死刑確定者の拘禁目的として一般社会からの死刑確定者の隔離及び死刑確定者の心情の安定が含まれると主張するが、監獄法及び同法施行規則は、監獄法九条にいう被勾留者と別異に扱うべき「別段の定め」を設けていないこと及び刑法一一条は死刑確定者の心情の安定を死刑執行の要件とはしていないことから、右二つそれ自体が拘置の目的と解することはできない。

(2) また、自殺の防止ということを拘禁目的に加えるが、自殺することにより死刑が期待されている効果、即ち応報による法秩序の回復と一般予防及び特別予防の効果のうち、本人の存在の消滅という点は本人の自殺によっても同一の効果が生じるものであるから、少なくともこの点において死刑確定者の自殺が公共の福祉に反しないことは明らかである。また刑事訴訟法は死刑確定時に身柄が拘束されていない者について、これを強制的に連行して拘置するための要件として「自殺のおそれ」を挙げていないことからみても、自殺の防止を拘禁目的に加えることはできない。

(二) 死刑確定者の人権制限について

死刑確定者の心情の安定は、それ自体が基本的人権の制限事由となるものではなく、死刑確定者の精神的ないし心理的動揺はそれが死刑確定者の身柄の確保の阻害または施設の規律秩序の維持の阻害に帰結するかぎりで基本的人権の制限事由となりうるものであるにすぎない。さらに、死刑確定者の心情を変えさせるために国家が死刑確定者の人権を制限することは、思想・信条を理由とした不利益措置に当たり、憲法一四条及び一九条に違反する。

2  原告の動静

(一) 原告は昭和五一年初め頃から同五三年末頃までの約三年間、獄中又は刑事法廷で実力闘争を行い何度も懲罰を科されたが、原告は非合法闘争の誤りを自覚し、同五四年を境に従来の思想や行動と訣別した。それ以後、現在まで、原告は非合法的な獄中闘争、対監獄闘争には一切関与せず、処遇上の問題はすべて所長面接等の合法的で穏当な手段のみによって解決を図ってきた。

(二) 原告は在監中に一度も自殺・自傷や逃走を企図した前歴はなく、前記の実力闘争をしていた時期も含めて日常生活は平静で何ら異常なところはなかった。また、死刑判決確定前後も原告の精神ないし心理状態は正常で落ち着いており、行動にも何ら異常な点はなかった。

3  各処分の経緯及びその違法性について

(一) 外部交通の制限について

(1) 被告は心情の安定に資するか否かという観点から制限が許されると主張するが、これ自体が死刑確定者の基本的人権の制限事由たりえないことは前述のとおりである。

また、被告が引用する局長通達は、死刑確定者の心情の安定の阻害それ自体を接見信書の不許可事由としている点で違法である。仮にこれが適法であるとしても、右通達は「心情の安定を害するおそれのある場合」を不許可事由としているに過ぎず、「心情の安定に資さない場合」を不許可事由としているのではない。したがって右通達は、接見・信書の発受について許可を原則とする立場に立っていると認められるから、右通達は被告の主張の正当性を裏付けるものではない。

仮に心情の安定に資するということが許されるとしても、この要件は心情の安定に資するか資さないかの二者択一であるから、外部交通を許可する以上心情の安定に資すると判断したためであり、その回数を制限するという合理的理由はない。

(2) 被告は、花子との結婚や清子らとの縁組が外部交通の確保を目的としたもので外部の支援関係者とのパイプ役と認められたと主張するが、これは事実を誤認または誇張したものであり、仮にこれが真実であったとしてもそれが死刑確定者の外部交通を制限する正当事由の存在を推定させるものではない。

また、原告は未決の際に行われた原告と花子、清子らとの交通によって、原告の身柄の確保や施設の規律秩序が阻害される事態が生じたことは全くない。

(二) 図書閲読の制限について

心情の安定それ自体が制限を正当付けるものではないことは前述のとおりである。

(三) 機関誌類の閲読不許可について

被告は各機関誌を原告に閲読させた場合には、原告の心情の安定を著しく害するとともに、施設の規律秩序の維持上放置しがたい程度の障害が生じる相当の蓋然性があったと主張するが、以下に述べることから、本件第七から第一六、第一九及び第二〇処分がなされた当時、右各処分にかかる機関誌類の閲読により精神的ないし心理的動揺から原告が規律違反を犯す可能性は極めて低かった。

(1) 第七処分について

支援連は原告らの救援のために活動する合法的な市民団体であり、過去に「過激」と評価されるような違法・不当な活動を行ったことはなく、また「支援連NEWS」の右処分にかかる各号にもそのような違法・不当な活動をアピールする記事は全くない。しかも、原告は支援連結成以来死刑確定まで約六年間にわたってそのメンバーと交流し、「支援連NEWS」各号を閲読していたが、その結果原告の身柄の確保や施設の規律秩序が阻害される事態は一度も生じなかった。

(2) 第八処分について

センターは人権擁護のために活動する合法的な市民団体であり、過去に違法・不当な活動を行ったことはなく、また「救援」の第八処分にかかる各号にも在監者に違法・不当な行為を唱道・煽動する記事は全くない。しかも、原告は非合法闘争と決別した昭和五十四年以降死刑確定まで約八年にわたりそのメンバーと交流し「救援」各号を閲読してきたが、その結果原告の身柄の確保や施設の規律秩序が阻害される事態は一度も生じなかった。

(3) 第九処分について

「統一獄中者組合」は在監者及び出獄者の権利の確立等のために活動する合法的な組合であって、過去に違法・不当な活動を行ったことはなく、また「監獄通信」の本件処分にかかる各号にも在監者に違法・不当な行為を唱道・煽動する記事は全くない。しかも原告は「統一獄中者組合」結成以降死刑確定まで約二年間にわたってそのメンバーと交流し、「監獄通信」各号を閲読してきたが(特に右処分にかかる九号は、刑の確定後死刑確定者としての処遇が始まる前に閲読していた。)、その結果原告の身柄の確保や施設の規律秩序が阻害される事態は一度も生じなかった。

(4) 第一〇処分について

「麦の会」は国会による死刑の廃止を目指して活動する合法的な団体であって、過去に違法・不当な活動を行ったことはなく、「麦の会通信」及び「ひろば」の右処分にかかる各号にも在監者に違法不当な行為を唱道・煽動する記事は全くない。しかも原告は「麦の会」結成以来死刑確定まで約七年間にわたりそのメンバーと交流し、「麦の会通信」及び「ひろば」の各号すべてを閲読していたが、その結果原告の身柄の確保や施設の規律秩序が阻害される事態は一度も生じなかった。

(5) 第一一処分について

「彼らを生きて取り戻す会」は原告らの救援のために活動する合法的な市民団体であり、過去に違法不当な活動を行ったことはなく、また「花束通信」の右処分にかかる各号にも原告らに違法・不当な行為を唱道・煽動する記事は全くない。しかも原告は非合法闘争と訣別した昭和五四年以降死刑確定まで約八年間にわたりそのメンバーらと交流したが、その結果原告の身柄の確保や施設の規律秩序を阻害する事態は一度も生じなかった。

なお、被告は「ひろば」と「花束通信」は死刑確定者の外部交通の制限を潜脱するものであると主張するが、右二誌は複数の読者を予定したミニコミ誌であり信書には当たらないし、仮にこれが信書に当たるとしても死刑確定者の外部交通の相手方は法令によってあらかじめ制限されていないから、右二誌が信書の性質を有すること自体は閲読不許可の正当な理由とはならない。

(6) 第一二処分について

「彼らを生きて取り戻す会」については前述のとおりであり、「あしたば」の右処分にかかる各号にも原告らに違法・不当な行為を唱道・煽動する記事は全くない。しかも原告と同会のメンバーの交流によって何ら支障が生じなかったことは前述のとおりである。

(7) 第一三処分について

「反日を考える会(宮城)」は原告らの救援のために活動する合法的な市民団体であって、過去に違法・不当な活動を行ったことはなく、また「プチの大通り」の二七号にも原告らに違法・不当な行為を唱道・煽動する記事は全くない。しかも原告は死刑確定まで八年間にわたり同会のメンバーと交流し、「プチの大通り」各号を閲読していたが、その結果原告の身柄の確保や施設の規律秩序が阻害される事態は一度も生じなかった。

(8) 第一四処分について

「たんぽぽの会」は国会による死刑の廃止を目指して活動する合法的な市民団体であり、過去に違法・不当な活動を行ったことはなく、また「わたげ通信」の右処分にかかる各号にも在監者に違法・不当な行為を唱道・煽動する記事は全くない。しかも原告は死刑確定まで七年間にわたり同会のメンバーと交流したが、その結果原告の身柄の確保や施設の規律秩序が阻害される事態は一度も生じなかった。

(9) 第一五処分について

「かたつむりの会」は国会による死刑の廃止を目指して活動する合法的な市民団体であり、過去に違法・不当な行動を行ったことはなく、また「死刑と人権」五〇号にも在監者に違法・不当な行為を唱道・煽動する記事は全くない。しかも原告は死刑確定まで七年間にわたり同会のメンバーと交流したが、その結果原告の身柄の確保や施設の規律秩序が阻害される事態は一度も生じなかった。

(10) 第一六処分について

「死刑執行停止連絡会議」は国会による死刑の執行停止を目指して活動する合法的な市民団体であって、過去に違法・不当な活動を行ったことはなく、また「死刑停止会議」〇号にも在監者に違法・不当な行為を唱道・煽動する記事は全くない。

(11) 第二〇処分について

支援連の活動については前述のとおりであり、原告には非合法的な出獄を望む気持ちは毛頭ないから、原告が右処分にかかるコピー綴りを読んで身柄奪還の期待感を抱くことはありえない。しかも原告は右措置の前に右コピー綴りと同種のコピー綴りを閲読したが、そのために原告の身柄確保や施設の規律秩序が阻害される事態は一度も生じなかった。

(12) 本件各機関誌に関する所長の扱いは一旦許可したものについて後日別の号を不許可とするなど二転三転しており、発行の趣旨自体が原告の拘禁目的と相いれないものであるとする被告の主張と矛盾することからも右各処分は不合理なものといえる。

(四) 特殊房拘禁(第一七処分)について

(1) 監獄法が独居拘禁を原則としていると解することはできず、独居拘禁を行うにしても厳正独居拘禁(他の在監者との交通を一切遮断する拘禁)は例外的である。

また、被告は、本件特殊房は独居房の一種であるから、そこでの拘禁について特別の根拠規定は要しないと主張するが、監獄法一五条が定める独居拘禁は自殺防止を目的としたものではなく、また同条によれば自殺を図る可能性が高い在監者は独居拘禁には付し尺ないとされているから、同条をもって本件特殊房拘禁の法的根拠とすることはできない。

(2) 原告は風邪を引いた際などに通常の診察を受けているが、これは本件特殊房に拘禁する必要性の有無を判定する目的で行われたものではなく、これらの診察の際に自殺のおそれがあるような精神状態の異常が発見された事実もなかったのであるから、これらの通常の診察を根拠に本件処分を正当化することはできない。

(3) 原告の舎房の平均収容者数は約四〇名であり、一般舎房の二倍の職員が配置されているから、テレビカメラを用いなくても十分な監視は可能である。

(五) 第一八処分について

被告が原告を利益処遇に参加させない理由は、要するに原告を集団処遇に参加させると他の死刑確定者の心情の安定が害されるおそれがあるという主張であると解されるが、原告は昭和五四年を境に一切の非合法闘争と訣別しているから、原告が集団処遇に参加しても他の死刑確定者の精神状態が乱れて、拘禁目的や施設の規律秩序が阻害される可能性は全くない。なお、原告は実力闘争をしていた時期においても他の在監者に実力闘争を呼びかけたり、あるいは自分の実力闘争に他の在監者を巻き込んだりしたことはなかった。

第三  当裁判所の判断

一  原告の地位

原告は昭和五四年一一月一二日に東京地方裁判所で爆発物取締罰則、殺人等の罪で死刑判決を受け、控訴、上告とも棄却されて、昭和六二年四月二一日、右死刑判決は確定したこと、これに伴い原告が拘置されている東京拘置所においては、昭和六二年四月二七日、原告を死刑確定者として処遇することを原告に告知して、以後死刑確定者として処遇していることについては当事者間に争いがない。

二  死刑確定者の地位

原告が死刑確定者であり、本件各処分が原告が死刑確定者であることを前提に行われているものであるから、本件各処分の違法性の有無の判断の前提として、まず死刑確定者の法的地位について検討する。

1  死刑の執行は監獄内で行われるが(刑法一一条一項)、死刑執行に至るまでの間死刑確定者は監獄に拘置される(同条二項)。この拘置は、死刑執行に至るまでの必然的な前提措置として行われるものであり、死刑確定者を厳重に社会から隔離し、死刑執行までの間逃亡や自殺等を防止し、もって生命刑としての死刑の適切な執行を確実ならしめることを目的とするものである。

そして、死刑確定者の拘置については監獄法が適用されるが(同法一条一項四号参照)、右拘置について同法九条は「本法中別段ノ規定アルモノヲ除ク外刑事被告人ニ適用ス可ベキ規定ハ…死刑ノ言渡ヲ受ケタル者ニ之ヲ準用」すると規定している。これは死刑確定者の拘禁が、それ自体が刑罰の執行であり被拘禁者の将来の社会復帰を前提に教誨及び教育を行う自由刑の執行としての拘禁とはその性格及び目的を異にしており、その拘禁自体が刑罰の執行としてのものではなく、また教誨または教育の対象ともならないという意味において刑事被告人の拘禁に類似する側面を有しているからであると解される。

しかしながら、刑事被告人の勾留は無罪の推定を受ける者を専ら逃走及び罪証湮滅の防止を目的として身柄を拘束するものであるのに対して、死刑確定者の拘置は、その刑が確定しているのであるから、再審請求の場合を除いては罪証湮滅の防止を考慮する必要はなく、刑事被告人の勾留とはその性格及び目的を全く異にするものである。

そして、死刑が生命刑であるという特殊性、すなわち死刑確定者に社会復帰の望みはなく、死刑の執行によりいずれ生命を断たれることを甘受しなければならない地位にあり、精神的にも極めて不安定な地位に陥りやすいことに鑑み、その処遇に当たっては、その心情の安定について格段の配慮を行うことが死刑確定者の逃亡や自殺等を防止するという拘禁目的の点からいっても必要であるということができる。

死刑確定者といえども、憲法が定める人権が保障されていることはいうまでもないが、その拘禁目的及び性格を考慮して必要かつ合理的な範囲内でその有する自由に対して一定の制限を加えることも憲法上許容されると解される。

そしてその制限に当たっては、右のように拘禁目的達成のために必要かつ合理的な限度での制限が認められるものであること、各拘禁の種類に応じてその目的も異なるものであること、監獄法も各被拘禁者の拘禁目的に応じた差異を認めていること(同法一条、四五条、四六条等参照)から、前記のとおり監獄法九条が死刑確定者に刑事被告人に関する規定を準用しているからといって、同法が死刑確定者の処遇について刑事被告人と同様に処遇し、その自由の制限についても同様であると解すべきではなく、処遇実施機関の合理的な裁量の範囲内において、死刑確定者の拘禁の目的及び性格の差異に応じた修正を施した上で刑事被告人に関する規定を準用し、死刑確定者の拘禁目的及び性格に応じた適正な処遇をなすべきことを同法は許容しているものと解すべきである。

2  また、右身柄確保の前提として、拘置所内の規律・秩序を維持する必要があることが認められるところ、拘置所は多数の被拘禁者を限られた人的・物的設備において拘禁し、身柄の確保及び拘禁目的の達成を図らなければならないことから、合理的といえる範囲で拘置所内の規律・秩序の維持の観点から、被拘禁者の自由に一定の制限が加えられることも止むを得ないところである。

ところで、死刑確定者は、他の被拘禁者と異なり、社会復帰は勿論、生への望みさえも断たれていることにより、絶望感にさいなまれて自暴自棄となり、極度の精神的不安定状態を招来し、あるいは自己の生命・身体を賭して逃亡行為又は重大な規律違反行為にでる可能性も高いことは容易に推認されるところである。そして、死刑確定者が右のような規律違反の行動に出た場合、まさに死を覚悟している者の他に怖いものは何もないという心境の下での行動が、拘禁施設の現場担当者の管理に著しい支障・困難をもたらすことは十分考えられるところであり(水上証言)、したがってこのような観点から、死刑確定者については、その心情の安定を図るべく、拘禁施設の側において格段の配慮をすることが必要であると認められる。

3  以上のとおり死刑確定者の処遇に当たっては、その拘禁目的の点からも、また施設の管理運営及び規律・秩序の維持の点からも、その心情の安定に格段の配慮を行うことが必要であり、したがって死刑確定者の心情の安定の観点から、その有する自由を必要かつ合理的な範囲内で制限することができるというべきである。

なお、原告は自殺の防止は何ら死刑執行の目的を害さず、拘禁の目的に加えることはできないと主張するが、死刑執行の目的は本人の存在の消滅という特別予防の効果に尽きるものではないことは明らかであるので、原告の右主張は失当である。

三  原告及び支援者の動静等

当事者間に争いがない事実、甲三、二一八、乙四、七、水上証人、原告本人及び弁論の全趣旨から以下の事実が認められる。

1(一)  原告は、爆弾による武闘組織「東アジア反日武装戦線」を結成し、海外進出企業等に対して爆弾による爆破闘争を行うことを企図して、昭和四九年八月三〇日に発生した三菱重工爆破などいわゆる連続企業爆破事件の被疑者として昭和五〇年五月一九日に逮捕され、その後、爆発物取締罰則違反、殺人、殺人未遂等の罪名で起訴され、第一審、第二審とも死刑判決を受け上告したが、昭和六二年三月二四日、上告棄却の判決を受け、右判決は昭和六二年四月二一日に確定した。なお、右第一審判決の中で、原告は「八名もの人命を奪い、少なくとも百数十人に重軽傷を与えたことに対する人間的な反省があるとは認められない」、「その反社会的思考は深く固着化していて抜き難い」等認定されている。

原告は右刑事事件の公判において、出廷を拒否したり、裁判長の訴訟指揮に従わず退廷命令を受けるなどするとともに、法廷においても死刑制度廃止と叫ぶ等の行為を行っていた。

(二)  また、原告は昭和五三年までは職員に対する暴行や、処遇の改善等を要求して、点検拒否、ハンガーストライキ、集団でシュプレヒコールをあげるなど各種規律違反行為を行って、いわゆる対監獄闘争を行っていた。昭和五三年には「監獄解体及び獄中者解放」を唱える「獄中の処遇改善を闘う共同訴訟人の会」(以下「共訴人の会」という。)に所属し、この組織に加入している在監者及び外部の支援者とともに組織的活動に取り組んだ。なお昭和五四年以降は、懲罰を科されるような規律違反行為の回数は減っているが、所長面接等を通じて処遇改善要求を行うとともに、昭和五五年九月には、死刑囚同士の連帯と死刑廃止を目的に活動を行っている「麦の会」に所属し、その委員となり、機関誌に意見を投稿するなどの中心的活動を行った。また、昭和六〇年一一月に、獄中者及び出獄者の権利の確立と拡大を活動目的として前記「共訴人の会」及び「獄中者組合」が統合して「統一獄中者組合」が結成された際には、原告が「共訴人の会」側の交渉委員として選任され、新組織の規約作りにも参画し、またその役員にもなって中心的メンバーとして組織的活動に取り組んできた。また、原告はこの他、死刑廃止運動を行う団体の機関誌類や原告の支援組織が発行する機関誌に投稿して意見を発表したり、監獄の処遇改善を目的として民事・行政訴訟を多数提起するなど積極的に活動している。

2  獄外の原告の支援者らも、原告の刑事裁判についての最高裁判所の最終弁論の日程が決まって判決確定の見通しが立ってからは、「死刑攻撃阻止」、「判決粉砕」等のスローガンを掲げ、ビラや信書によって死刑執行阻止に向けて共に闘う意思を原告に伝えたり、東京拘置所周辺において死刑廃止、処遇改善を求める抗議行動をたびたび行っていた。また原告の死刑確定後は、「死刑制度撤廃」、「死刑執行阻止」、「生きて身柄を奪い返す」等のスローガンを掲げ、マスコミへの投書、国会議員や関係機関への陳情を行ったり、機関誌類にもその旨記載するとともに、支援者の一員が別件事件の法廷で「塀を破ってでも原告の身柄を奪い返す」等の非合法な手段による身柄の奪還を示唆する発言を行ったりしていた。

さらに、昭和六二年一一月ころには日本赤軍等の組織が原告を含むいわゆる連続企業爆破事件の関係者の身柄奪還を狙っているとの情報もあった。

3  原告は刑事事件第一審の公判中において複数回にわたって自殺の衝動にかられた言動を示したほか、死刑判決確定の前後においては、原告の動静に落ち着きが認められず、東京拘置所においては原告の心情が不安定であると判断して、突発的な行動に備えて特別の警備体制を敷いていた。

4  昭和五〇年以降平成二年までの間、東京拘置所において被収容者が自殺した例は外部に報道されただけでも八例あり、このうち二例は死刑確定者によるものであった。

四  各処分について

1  外部交通の制限(第一処分、第二処分について)

(一) 事実関係について

(1) 第一処分について

① 以下の事実については当事者間に争いがない。

ⅰ 花子は、昭和六二年四月七日に原告と婚姻して、夫婦となった者である。

ⅱ 所長は、死刑確定を理由に昭和六二年四月二七日、原告の外部交通については、①原告の外部交通の相手方は、原則として親族及び再審請求及び現在係属中の民事訴訟の代理人たる弁護士で、原告があらかじめ申請して許可を得た者に限定する、②弁護士接見を含めて接見は一日一回以内とする、③裁判所宛の発信も含めて発信は一日二通、一通七枚以内とし、受信数は制限しない、と変更した。

ⅲ 原告は、同月二八日、外部交通許可申請を提出して花子についての外部交通の許可を求めたが、所長は、右同日、「拘禁目的に反する」として右申請を不許可にした。

その後、同年八月五日、所長は右取扱を一部変更して、接見及び信書の発受は月二回以内に限り、郵送による物品の授受は認めないとの制限を付した上で、原告と花子との外部交通を許可した。

② 甲二一八、乙四、水上証人、原告本人及び弁論の全趣旨によれば、花子は従前から麦の会や支援連などの原告の外部支援活動に関係していたこと、所長は原告と花子の婚姻が死刑確定の直前になされたことからも原告の刑確定後の外部交通の確保を目的として結ばれたものであり、花子は原告と外部の支援関係者との間のいわゆるパイプ役的存在を継続しており、死刑確定者の法的地位に照らして、外部交通を許可すべきではないと判断したことが認められる。

(2) 第二処分について

① 以下の事実については当事者間に争いがない。

ⅰ 清子は昭和五八年四月一四日に原告と養子縁組をして原告の養母になった者である。芳子は清子の子、樹と信平は芳子の子である。美和及び次郎はそれぞれ昭和六二年三月二六日及び同月三〇日に清子と養子縁組をして原告の親族になった者であり、三郎は美和の子である。

ⅱ 原告が死刑確定後の昭和六二年五月六日、右清子、芳子、次郎、美和及び樹について外部交通の許可を求めたところ、同月八日、所長は右申請を不許可とした。

ⅲ また、原告は平成二年四月一一日、信平(当時七歳)及び三郎(当時二歳)について外部交通の許可を求めたところ、所長は同月一三日、右申請を不許可とした。

② 甲一九四から一九七、二一二、各甲号証の各機関誌類、乙四、水上証人、原告本人及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

ⅰ 清子、芳子、美和及び次郎は、いずれも死刑廃止運動等に関与している者である。

ⅱ 所長が①ⅱの申請を不許可とした理由は、右各人はいずれも原告が東京拘置所収監後に養子縁組に基づく養親族になった者またはその子であり、いずれも原告の外部支援活動(死刑廃止運動)に関係し、原告と外部の支援者との間のいわゆるパイプ役的存在を継続していると判断したためである。

ⅲ また、所長が①ⅲの申請を不許可とした理由は、右両名の外部交通を認めることはこれを介して母親である芳子及び美和との外部交通を認めることになることは必至であり、原告の意図も同様であると判断したことによる。

(二) 各処分の違法性の有無

(1)① そこで各処分の違法性について検討すると、監獄法は在監者の接見及び信書の発受については「之ヲ許ス」と規定し(四五条一項、四六条一項)、監獄の長の許可にかからしめているとともに、その許否の基準について、受刑者及び監置に処せられた者については規定を置くが(四五条二項、四六条二項)、死刑確定者についてその許否の基準について定めた明文の規定は設けていない。しかしながら、規定がない以上まったく制限しえないと解するのは相当ではなく、拘禁の目的及び施設の規律・秩序の維持を考慮して必要かつ合理的な範囲内での制限が認められると解すべきである。原告は監獄法九条、四五条、四六条の文言から、死刑確定者に対しては、その接見及び信書の発受に関し、受刑者及び監置に処せられた者に対して法が認めている制限を課すことは許されないと主張するが、この主張が失当であることは前述したとおりである。また、物品の差入れについては「命令ガ定メル所ニヨリ之ヲ許ス」と規定し(同法五三条一項)、これを受けて監獄法施行規則は拘禁の目的に反し又は監獄の規律を害する物の差入れを禁じている(同規則一四二条。なお同規則は受刑者及び被告人については特に規定を設けているが、死刑確定者の差入れについて定めた規定はない。)が、これについても同様に接見及び信書の発受と同様に解すべきである。

そして監獄の長が右許否を判断するにあたっては、当該拘禁目的、当該在監者の動静、外部交通の相手方の地位・在監者との関係、在監者の支援者等関係者の動向、監獄内の管理・保安の状況、外部交通を制限しないことにより生じると予測される事態等の具体的事情を考慮する必要があると解されることから、右各事情を常時総合的に把握しうる立場にあり、監獄内の実情に精通している当該監獄の長の裁量的判断が合理的なものである限りこれを尊重すべきものと解すべきである(なお、右の所長の裁量について述べるところは、2の図書閲読の制限及び3の機関誌類の閲読不許可処分についても同様である。)。

② 乙一、二、四、水上証人及び弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる。

死刑確定者の接見及び信書の発受について定めた局長通達は、接見及び信書の発受の許可を与えないことが相当である場合の具体例として、①本人の身柄の確保を阻害し又は社会一般に不安の念を抱かせるおそれのある場合、②本人の心情の安定を害するおそれのある場合、③その他施設の管理運営上支障を生ずる場合を挙げている(乙一)。

これらの法律及び通達を受けて、東京拘置所においては、死刑確定者の外部交通の相手方については、原則としてⅰ本人の親族(ただし、収監後親族となった者で、外部交通の情況、親族となるに至った経緯等から、判決確定後の外部交通の確保を目的としていることが認められる者を除く。)、ⅱ本人について現に係属している訴訟の代理人たる弁護士、ⅲその他本人の心情の安定に資すると認められる者についてのみ、外部交通を許可することとし、ただⅳそれ以外の相手方である場合にも、裁判所、権限を有する官公署等あての文書あるいは訴訟の準備のための弁護士あての文書を発信する場合など、外部交通の目的に照らして、本人の権利保護のために必要かつ止むを得ないと認められる場合にはこれを許可する扱いとしている。

③ そしてかかる局長通達及び東京拘置所の一般的扱い自体は、死刑確定者の拘置が死刑確定者を厳重に社会から隔離し、死刑の適切な執行を確実ならしめることを目的とすること及び死刑確定者の外部交通の許否の判断は監獄の長が前記①の各事由を総合的に検討して行うものであるから、所長の裁量権行使の基本的準則としては、合理性があると認めることができる。

なお原告は、局長通達が死刑確定者の接見及び信書の発受を原則的に許可することに基づいて例外的に許可しない場合の基準を示しているものと解し、東京拘置所の一般的扱いは右局長通達にも違反するものであると主張するが、局長通達の趣旨は、在監者の接見及び信書の発受に関する監獄の長の裁量処分について、死刑確定者については例示した三つの場合において概ね許可を与えないことが相当であるとして一定の制限、方向性を示したものであって、右三つの場合以外は許可を与えるべきものであるとした趣旨とは解されない。さらに、監獄法四五条二項は「受刑者及ビ監置ニ処セラレタ者ニハ其親族ニ非ザル者ト接見ヲ為サシムルコトヲ得ズ但特ニ必要アリト認ムル場合ハ此限ニ在ラズ」と規定し、同法四六条二項は信書の発受についても同趣旨を規定している。右の両規定は死刑確定者に直接適用されるものではないが、死刑確定者の拘禁の目的が死刑確定者を社会から厳重に隔離し、その身柄の確保することであり、死刑確定者に対する接見、信書の発受の制限が受刑者及び監置に処せられた者より緩和されることが監獄法の要請であるということができない(同法九条の規定をその趣旨に解することができないことは前述のとおりである。)ことを考慮するとき、東京拘置所の一般的扱いは監獄法の規定及び局長通達の趣旨に反するものではないということができる。

(2) 第一処分について

原告と花子が知り合ったのは原告の収監後であること、原告と花子の結婚した時期が、原告の刑事事件についての上告棄却判決の後右確定前であること、花子が麦の会に所属し、また支援連とのつながりがあった等原告の外部支援組織に関係していることに鑑みれば、原告と花子との婚姻は外部支援組織等との外部交通の確保のためになされた疑いがあるとの所長の判断には合理性が認められる。また、原告が従前対監獄闘争を行い多数の規律違反行為を行っていたこと、昭和五四年以降は規律違反を伴うような活動こそ減っているが、処遇改善や死刑廃止を求めて積極的に活動を行っており、死刑確定後に外部からの刺激如何によっては再び心情の安定が害される可能性もあったこと、外部の支援団体が東京拘置所周辺において死刑廃止、処遇改善を求める抗議行動をたびたび行っていたこと、花子が右支援団体に関係していたことに照らして、花子が原告と婚姻したとしても、花子は原告の心情の安定に資する者とは認められないとした所長の判断は根拠があると認めることができる。したがって、当初花子との外部交通をすべて不許可とし、約三か月後に制限付で許可した所長の処分には、死刑確定者の拘禁目的及び施設の管理・秩序の維持の観点から合理的な理由があり、裁量の範囲を逸脱した違法があったと認めることはできない。

なお原告は、外部交通の回数ではなく内容を制限すべきであると主張するが、接見において会話の内容を制限するのは困難を伴うと認められること及び右花子が外部とのパイプ役を果たすと疑っていたことに照らして、回数を制限した所長の判断を不合理なものとまで認めることはできず、原告の主張は認めることはできない。

(3) 第二処分について

① 清子が原告のみならず、死刑廃止運動を行っている美和及び次郎とも養子縁組を行っていること、原告と清子が養子縁組を行ったのは原告の刑事事件について死刑が維持された二審判決の後であり、また美和及び次郎の養子縁組の時期は原告の刑事事件について上告棄却後死刑確定の直前であること、右各人とも死刑廃止運動等原告の支援活動に関係していることに鑑みれば、原告と右各人との養親族関係は外部交通の確保のためになされた疑いがあるとの所長の判断は合理性が認められる。

そして、原告と外部支援活動との連絡の制限の合理性については花子の場合と同様であるから、右各人との外部交通をすべて不許可とした所長の判断には合理的な理由があると認めることができ、この点についての所長の判断に裁量の範囲を逸脱した違法があったとは認めることはできない。また、右縁組を通じて親族関係となった樹についても同様である。

② また信平及び三郎については、前記各人の年齢に鑑み、同人等の外部交通を認めることは母親である芳子及び美和との外部交通を認めることになるとして、これを不許可とした所長の判断についても合理的裁量の範囲を逸脱した違法があったとは認めることはできない。

(4)① なお、死刑確定前に花子及び清子らとの交通によって原告の身柄の確保や施設の規律秩序が阻害される事態が生じたことはなかったと原告は主張するが、拘禁目的の変更に応じてその外部交通の取扱いが変更されることがあるのは、拘禁目的及びその性格に応じて自由の制限が許容されることに照らして明らかであり、特に死刑が確定することにより、いよいよ死に直面することになる原告の立場の変化を考慮するとき、仮に死刑確定前の花子及び清子らとの交通の影響が原告主張のとおりであったとしてもそのこと自体をもって直ちに前記の所長の判断を違法とする理由にはならず、この点についての原告の主張も理由がない。

② さらに原告は、他の死刑確定者について又は他の拘置所においては、収監後に婚姻ないし養子縁組を結んだ者との外部交通を許可しており、これらの扱いと比べて第一及び第二処分は憲法一四条あるいは裁量行為に要求される比例原則に違反すると主張するが、外部交通を許可するか否かは当該死刑確定者の動静、交通の相手方の状況、当該施設の状況等を考慮して個々具体的に判断されるものであるから、他の者又は他の施設と取扱いが異なることは当然に許容されていると解され、前記のとおり原告と右花子及び清子らとの外部交通を制限する所長の判断には合理性の範囲を逸脱した違法は認められないのであるから、これが不合理な差別であり違法であるとは認めることができない。

③ なお、原告は死刑確定者の外部交通を原則として禁止している現行実務はB規約に違反すると主張するが、本件第一及び第二の処分は死刑確定者に対する合理的制約として適法なものであってB規約もかかる合理的制約まで禁止する趣旨ではないと解されるので原告の右主張は失当である。

(三) 以上のことから、第一、第二処分とも違法とは認められないから、この点についての原告の請求は認めることはできない。

2  図書閲読の制限(第三処分から第六処分まで)

(一)(1) 争いがない事実

第三処分から第六処分までの各閲読不許可処分がなされたこと及び各書籍の内容については、当事者間に争いはない。なお、乙四、水上証人及び弁論の全趣旨から、第四及び第五処分の告知日については、昭和六二年五月八日と認められる。

(2) 甲二〇六から二〇八まで、二一八、乙四、水上証人、原告本人及び弁論の全趣旨によれば、右処分にかかる図書の内容は、第三から第五処分についてはいずれも死刑執行方法等に関する記載であること、第六処分については死刑確定者の心理描写、日常生活等を記載しているものであること(なお原告は、右第六処分にかかる「死刑囚の記録」については本件訴訟において証拠として提出することができなかったが、弁論の全趣旨から右のような内容であると認められる。)、所長が右各図書の閲読不許可処分を行ったのは、右各図書の内容が右のようなものであるからこれをそのまま閲読させた場合には死刑が確定した直後の原告の心情の安定を著しく害し、ひいては拘禁目的を害しかつ東京拘置所の正常な管理運営を阻害する相当の蓋然性が認められると判断したためであることが認められる。

(二) 右各処分の違法性の有無

(1) 監獄法は、在監者の文書・図画の閲読について「請フトキハ之ヲ許ス」とした上で、「文書、図画ノ閲読ニ関スル制限ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム」と規定し(同法三一条)、差入れについては「之ヲ許スコトヲ得」と規定し(同法五三条一項)、所長の許否の判断にかからしめている。そして、右所長の許否の基準について、監獄法施行規則は、文書・図画の閲読については「拘禁ノ目的ニ反セズ且ツ監獄ノ紀律ニ害ナキモノニ限リ之ヲ許」し(同規則八六条一項)、差入れについては「拘禁ノ目的ニ反シ又ハ監獄ノ紀律ヲ害ス可キ物」の差入れを禁じている(同規則一四二条一項)。これを受けて取扱規定三条三項は、死刑確定者に閲読させる図書、新聞紙等は、①身柄の確保を阻害するおそれのないもの、②紀律を害するおそれのないもの、に該当し、かつ死刑確定者の心情の安定を害するおそれのないものでなければならない旨規定している(乙二)。

そして、死刑確定者も、憲法一九条及び二一条の派生原理としての図書閲読の自由を有していると認められるが、前記二1記載のとおり、拘禁目的及びその性格を考慮して必要かつ合理的範囲内での制限は許容されると解されるところ、右各規定はこの趣旨を具体化するものであり、右取扱規定も規定自体としては合理性を有するものであると認められる。

右第三から第六処分の対象となった部分はいずれも死刑の執行方法についての詳細な記載及び死刑確定者の心理描写あるいは日常生活等の記載であり、死刑確定者にとって死刑がまさに現実のものとして直面した状態であることから、死刑確定直後の原告に閲読させた場合には、その心情の安定を害する結果、拘禁目的を害し、また、施設の規律・秩序の維持上放置できない程度の障害を生じさせる蓋然性を有すると判断して閲読を不許可にした所長の判断は、合理性を有するものというべきである。

なお、右各処分において閲読を許可されなかった図書は、死刑確定前においては、いずれも抹消無し(第三から第五処分にかかる図書について)あるいは一部抹消の上(「死刑囚の記録」について)閲読を許可されていたものであるが(争いがない事実)、前記のとおり拘禁目的の差異に応じて制限される自由の範囲に差異が生じることは合理性のあるところであって、死刑確定前には閲読を許可されていたこと自体をもって右各不許可処分を違法と評価することはできない。また、原告は従前閲読し内容を熟知していたのであるから閲読を許可しても何ら心情の安定を害することはないと主張し、事実原告は死刑執行方法についての具体的知識を有していたと認められるが(甲一八九、原告本人)、前記のとおり生に対する希望が残されている未決拘禁時と異なり、死刑確定によって死刑の執行と直面することになるのであるから、再読することによる印象は当然未決拘禁時とは異なりより切迫感を有したものとなるであろうことは容易に推認できることから、この点からいっても原告の主張は失当である。

(三) よって、右第三から第六処分は違法とは認めることができず、この点についての原告の請求は認めることはできない。

3  機関誌類の閲読不許可

(一) 各処分の事実の経緯

(1) 第七処分

① 所長が「支援連NEWS」六八号、六九号、七一号及び七二号の閲読を不許可としたこと、右不許可処分にかかる「支援連NEWS」は、原告らの支援組織である支援連の会報であることについては当事者間に争いがない(なお乙四、水上証人及び弁論の全趣旨から、六八号及び六九号の差入日は昭和六二年七月八日、処分告知日は同月一三日、七一号及び七二号の差入日は同年九月二五日、処分告知日は同年一〇月二日と認められる。)。

② 甲一三五、一三六、一三八、一三九、乙四、水上証人及び弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる。

ⅰ 右不許可の対象となった「支援連NEWS」各号の内容は、いずれも支援連の活動内容の報告、活動への支援・参加の呼び掛け並びに原告や原告が所属していた東アジア反日武装戦線のメンバーであった丁川正夫(以下「丁川」という。)、丙沢弘子、戊山幸夫及び山川徹一の手記も記載されている。

また、支援連は原告及び原告の刑事事件の相被告人らの支援活動(死刑判決阻止、死刑執行の阻止のための活動、拘置所の処遇改善等)を行っている団体である。

ⅱ そして、所長が右閲読不許可処分を行ったのは、「支援連NEWS」が原告の支援組織の一つである支援連の会報であり、死刑執行の阻止等をアピールする内容であり、これをそのまま閲読させれば、死刑確定者である原告の心情の安定を著しく害し、ひいては拘禁目的を害しかつ東京拘置所の正常な管理運営を阻害するおそれがあると判断したことによる、と認められる。

(2) 第八処分

① 所長が「救援」二一七号から二一九号までの閲読を不許可としたこと、右不許可処分にかかる「救援」はセンターの機関誌であることについては当事者間に争いはない(なお、乙四、水上証人及び弁論の全趣旨から、差入日及び処分告知日についてはそれぞれ昭和六二年七月二二日、同月二八日と認められる。)。

② 甲三六から三八まで、乙四、水上証人及び弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる。

ⅰ 右処分にかかる各「救援」は、いわゆる公安関係事件、労働関係事件、死刑判決がでた事件、いわゆる冤罪主張事件等を主に一般の刑事事件についても支援の呼び掛けや各事件の捜査や裁判の進行に対する批判、拘禁施設関連法案等の改正反対、死刑制度の廃止等を内容とするものであり、センターの活動内容も同様である。

ⅱ 所長が右各「救援」の閲読を不許可としたのは、右誌がいわゆる公安関係活動家に関わる刑事事件を含め広く一般刑事事件についても救援活動を行っている団体であるセンターの会報であり、同団体の活動状況及び反社会的活動である公安関係事件の正当化等を詳細に記述し、警察や監獄等を国民に対する弾圧機関と捉えて国家権力と対決し、さらに死刑制度の廃止を呼びかける内容であったことから、これを閲読させると、これらの内容が原告に伝わり原告がこれに鼓舞され、その心情の安定を害し、ひいては拘禁目的を害しかつ東京拘置所の正常な管理運営を阻害するおそれがあると判断したことによる。

(3) 第九処分

① 所長が「監獄通信」九号及び一〇号の閲読を不許可にしたこと、右不許可処分にかかる「監獄通信」は「統一獄中者組合」の会報であること、原告が右「統一獄中者組合」の組合員であることについては当事者間に争いがない(なお、乙四、水上証人及び弁論の全趣旨から、差入日は昭和六二年七月二二日と認められる。)。

② 甲七、三三、一七六、乙四、水上証人、原告本人及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

ⅰ 右処分にかかる「監獄通信」九号及び一〇号は、在監者からの意見や各監獄内の状況についての報告・批判、活動の呼び掛け等を内容とするものである。なお、「監獄通信」を発行する「統一獄中者組合」は、監獄法改正阻止や獄中者の処遇改善闘争などを行っていた「獄中者組合」と「共訴人の会」の両組織が統一して結成された団体であり、ファシズムの波に抵抗し、獄中者が自らの権利と利益を防衛していく闘いは、獄外の人民の階級闘争と一体不可分のものであると位置づけた上で、監獄及び刑罰の廃止を究極の理想として掲げて、監獄の処遇改善を活動目的とするものである。

ⅱ 所長が右処分を行ったのは、「監獄通信」が対監獄闘争を標榜する「統一獄中者組合」の会報であり、同組織の活動状況及び対監獄闘争の状況等を詳細に記述した内容であるから、これをそのま閲読させれば、原告の心情の安定を著しく害し、ひいては拘禁目的を害しかつ東京拘置所の正常な管理運営を阻害するおそれがあると判断したことによる。

(4) 第一〇処分

① 所長が「麦の会通信」三九号、四〇号及び四二号並びに「ひろば」三三号の閲読を不許可にしたこと、右不許可処分にかかる「麦の会通信」及び「ひろば」は死刑廃止を目的とした「麦の会」が発行していること、原告は「麦の会」の会員であったことについて、当事者間に争いがない(なお、乙四、水上証人及び弁論の全趣旨から、「麦の会通信」三九号については差入日が昭和六二年五月二〇日、同四〇号及び「ひろば」三三号については差入日が同年六月二六日、処分告知日が同年七月三日ころ、「麦の会通信」四二号については差入日が同年一〇月二三日、処分告知日が同月二九日であると認められる。)。

② 甲三五、八四、八五、八七、乙四、水上証人、原告本人及び弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる。

ⅰ 右処分にかかる「麦の会通信」は、在監者等の死刑廃止の訴え、死刑判決への批判、各人の意見の発表、紙面を通しての論争、活動への支援・参加の呼び掛け等を内容とするものである。

また、「ひろば」は各会員が自己の意見を記載した文書を順次その末尾に綴っていく形態のものであり、各会員は紙面上での意見の発表・交換、論争を内容とするものである。

なお右両誌を発行する「麦の会」は、昭和五五年一一月に原告を主要メンバーの一人として結成され、死刑廃止、死刑判決の阻止や死刑執行の停止を目指して活動している団体である。

ⅱ 所長が右処分を行ったのは、「麦の会通信」が死刑の言渡しを受けた者及び死刑の言渡しを受ける可能性のある者の団結と死刑制度廃止運動の拡大を目的に結成されたもので、死刑廃止を目的に活動する「麦の会」の会報であり、「ひろば」は「麦の会」に加入している者の回覧であり、いずれも会員の交流を目的とした内容であるとともに、死刑制度を非人道・非合法とする内容であったことから、これをそのまま閲読させれば、事実上原告と「麦の会」の会員との交通を認めることになり、死刑確定者である原告の心情の安定を著しく害し、ひいては拘禁目的を害しかつ東京拘置所の正常な管理運営を阻害するおそれがあると判断したことによる。

(5) 第一一処分

① 所長が「花束通信」一号の閲読を不許可にしたこと、右不許可処分にかかる「花束通信」が「彼らを生きて取り戻す会」のメンバーの発行によることについては当事者間に争いはない(なお乙四、水上証人及び弁論の全趣旨によれば、差入日は昭和六二年七月三日と認められる。)。

② 甲七四から七六まで、八〇、一〇五、乙四、水上証人によれば以下の事実が認められる。

ⅰ 右処分にかかる「花束通信」は、原告らの支援者から原告や丁川に宛てた書簡を綴ったものであると認められる。

なお右「花束通信」を発行している「彼らを生きて取り戻す会」は、原告及び原告の刑事事件の相被告人であった者の支援活動、同人らに対する死刑判決や死刑執行を阻止することを目的とした団体である。

ⅱ 所長が右処分を行ったのは、「花束通信」が右のような目的を有する「彼らを生きて取り戻す会」のメンバーによる書簡コピー綴りであり、その内容が外部交通を制限されている相手方からの一般的内容を伝える通信文を掲載したもので、外部交通の制限を潜脱する目的で作成されたものと認められ、外部支援者から原告に宛てられた信書とみるのが相当であったことから、これをそのまま閲読させれば、原告の心情の安定を著しく害し、ひいては拘禁目的を害しかつ東京拘置所の正常な管理運営を阻害するおそれがあると判断したことによる。

(6) 第一二処分

① 所長が「あしたば」一号から三号まで、七号の閲読を不許可にしたこと、及び右不許可処分にかかる「あしたば」が「彼らを生きて取り戻す会」の機関誌であることについては当事者間に争いがない(なお差入日については、一号が昭和六二年七月三日ころ、二号及び三号が同年九月二五日、七号が昭和六三年五月一三日であり、処分告知日については二号及び三号については昭和六二年一〇月二日と認められる。)。

② 甲七四から七六まで、八〇、乙四、水上証人及び弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる。

ⅰ 右処分にかかる「あしたば」は、原告、丁川らを支援し、右各人の死刑執行の違法性の主張、拘置所の処遇・対応への批判、「彼らを生きて取り戻す会」の活動への支援・参加の呼び掛け等を内容とするものである。なお、昭和六二年に創刊された「あしたば」一号(甲七四)の表紙には、原告の言葉として「私たちは、日本国家の政治的捕虜に他なりません。日本国家が過去から現在におよぶ侵略を自己批判し、真に民主的で平和な「国」として再生するまで、私はこの国の刑罰権に自発的に服することはできません。」という文章が引用されている。

ⅱ 所長が右処分を行ったのは、「あしたば」が原告を含む東アジア反日武装戦線の死刑確定者を生きて取り戻すことを標榜する「彼らを生きて取り戻す会」の会報で支援者と原告との交流紙であり、死刑制度を非人道・非合法とする内容等の記載があったことから、これをそのまま閲読させれば、死刑確定者である原告の心情の安定を著しく害し、ひいては拘禁目的を害しかつ東京拘置所の正常な管理運営を阻害するおそれがあると判断したことによる。

(7) 第一三処分

① 所長が「プチの大通り」二七号の閲読を不許可としたこと、右不許可処分にかかる「プチの大通り」は「反日を考える会(宮城)」の機関誌であることについては当事者間に争いがない(なお、乙四、水上証人及び弁論の全趣旨から一号の差入日は昭和六二年六月一九日、処分告知日は同月二六日と認められる。)。

② 甲三四、乙四、水上証人及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

ⅰ 右不許可処分にかかる「プチの大通り」は、死刑制度の廃止、原告らへの死刑の不当性、東京拘置所の処遇の不当性の訴え、死刑制度廃止活動への参加の呼び掛け等を内容とするものである。また同誌を発行する「反日を考える会(宮城)」は原告及び原告の刑事事件で相被告人であった者らへの死刑執行の阻止、原告らに対する拘置所の処遇改善を目的として活動する団体である。

ⅱ 所長が右不許可処分を行ったのは、「プチの大通り」が原告ら二名の東アジア反日武装戦線の死刑確定者を生きて取り戻すことを標榜した「反日を考える会(宮城)」の会報で原告と支援者との交流紙であり、同会の活動状況及び死刑制度を非人道・非合法とする内容、会員の意見交換等の記述があったことから、これをそのまま閲読させれば、死刑確定者である原告の心情の安定を著しく害し、ひいては拘禁目的を害しかつ東京拘置所の正常な管理運営を阻害するおそれがあると判断したことによる。

(8) 第一四処分

① 所長が「わたげ通信」一号の閲読を不許可としたこと、右不許可処分にかかる「わたげ通信」は「タンポポの会」(なお、甲八によれば、被告主張の「麦の会・福岡定例会」と原告主張の「タンポポの会」は同一団体であると認められる。)の機関誌であることについては当事者間に争いがない(なお、乙四、水上証人及び弁論の全趣旨から、一号の差入日は昭和六三年四月二日、処分告知日は同月七日と認められる。)

② 甲八、乙四、水上証人及び弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる。

ⅰ 右不許可処分にかかる「わたげ通信」一号は、死刑廃止の訴え、死刑判決についての情報と死刑確定者からの便りの掲載等を内容とするものである。そして、右「麦の会・福岡定例会」の活動内容については、麦の会と同様、死刑廃止、死刑執行や死刑判決の阻止を目的としたものである。

ⅱ 所長が右不許可処分を行ったのは、前記「麦の会通信」や「ひろば」について述べたところと同様な理由による。

(9) 第一五処分

① 所長が「死刑と人権」五〇号の閲読を不許可としたこと、右不許可処分にかかる「死刑と人権」は「かたつむりの会」の機関誌であることについては当事者間に争いはない。

② 甲一六から二四まで、乙四、水上証人及び弁論の全趣旨から以下の事実が認められる。

ⅰ 右「死刑と人権」五〇号は、死刑廃止の訴え、拘置所内での処遇の不当性、右かたつむりの会の活動報告等を内容とするものである。なお右「死刑と人権」を発行している「かたつむりの会」は、死刑廃止を目指して活動している団体である。

ⅱ 所長が右不許可処分を行ったのは、「死刑と人権」が死刑廃止を目的として活動する「かたつむりの会」の会報であり、同会の活動状況及び死刑制度を非人道・非合法とする内容等の記述があったことから、これをそのまま閲読させれば、死刑確定者である原告の心情の安定を著しく害し、ひいては拘禁目的を害しかつ東京拘置所の正常な管理運営を阻害するおそれがあると判断したことによる。

(10) 第一六処分

① 所長が「死刑停止会議」〇号(創刊準備号)の閲読を不許可としたこと、右不許可処分にかかる「死刑停止会議」は死刑執行停止連絡会議の機関誌であることについては当事者間に争いはない。

② 甲二六、乙四、水上証人及び弁論の全趣旨から以下の事実が認められる。

ⅰ 右「死刑停止会議」〇号(創刊準備号)は、死刑廃止を目的にしてとりあえず死刑の執行を一時停止し、その間にこの問題について議論するための国民的キャンペーンを起こすという同誌の目的、死刑執行停止連絡会議の設立の趣旨、設立の経緯、活動の呼び掛け等を内容としている。

なお死刑執行停止連絡会議は、死刑廃止を目指してとりあえず死刑の執行を停止することを目的として設立された団体である。

ⅱ 所長が右不許可処分を行ったのは、「死刑停止会議」には死刑制度を非人道・非合法とする内容等の記述があったことから、これをそのまま閲読させれば、死刑確定者である原告の心情の安定を著しく害し、ひいては拘禁目的を害しかつ東京拘置所の正常な管理運営を阻害するおそれがあると判断したことによる。

(11) 第一九処分

① 所長が「監獄通信」九号及び一〇号、「プチの大通り」二七号、「ひろば」二三号、「救援」二一七号から二五四号まで、「あしたば」創刊号から一〇号まで、「麦の会通信」三九号から四三号まで、四五号、四六号、四八号から五四号まで、五六号から六一号まで、「花束通信」昭和六二年五月号、同一二月号、昭和六三年一月号から九月号まで、同年一一月号及び一二月号、平成元年一月号から一二月号まで、平成二年一月号から五月号まで、「支援連NEWS」六八号から一〇八号までの閲読をいずれも不許可としたことについては、当事者間に争いがない。

② 甲三三から一〇三まで、一〇五から一七六まで、乙四、水上証人及び弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる。

ⅰ 右各誌の内容については、前記第七処分から第一五処分までについて論じたところと同じである(なお、右の中には前記各処分の対象となったものと同じ号も含まれてはいるが、号が違うものも内容は各号とも同旨の内容であると認められる。)。

ⅱ 所長が右不許可処分を行った理由について、前記各機関誌類について述べたところと同じであると認められる。

(12) 第二〇処分

① 所長が「支援連NEWS」九五号から一一二号に掲載された花子の投稿文のコピー綴りの閲読を不許可としたことについては当事者間に争いはない。

② 甲一六二から一六四まで、一六八から一七三まで、一七五、乙四、水上証人及び弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる。

ⅰ 右各コピー綴りの内容は、花子からの投稿という形で、いずれも原告の近況や時事問題や一般的事項についての原告の意見等を記載したものであることが認められる。

ⅱ 所長が右不許可処分を行ったのは、「支援連NEWS」の抜粋コピーを一冊に合冊したものの内容が、原告の近況を報じるとともに、原告の支援を不特定多数に呼びかける内容であると認められたことから、右コピー綴りを閲読させることは死刑確定者である原告の心情の安定を害し、ひいては拘禁目的を害しかつ東京拘置所の正常な管理運営を阻害するおそれがあると認められたためである。

(13) 乙四及び水上証人によれば、第一六処分を除いた機関誌類の閲読不許可処分の理由は、右各機関誌類の個々の内容によるものだけでなく、機関誌を発行している団体の性格(対監獄闘争の活動状況)及び各発行の趣旨も考慮しての処分であると認められる。

(14) 乙四及び水上証人によれば、平成三年一〇月一日以降は、原告の状況に落着きがみられ、また対監獄闘争の活動が沈静化してきたという状況の変化に伴い、「花束通信」を除いて、所長は、死刑確定後閲読制限をしていた前記の機関誌類の閲読を許可したことが認められる。

(二) 右各処分の違法性

(1) 死刑確定者の図書閲読の制限についての一般的な判断については2(二)で述べたとおりである。

(2) そこで、本件各処分が所長の裁量的判断として合理的といえるかについて検討する。

所長が閲読を不許可とした機関誌類は、いずれもその内容は前記認定のとおりであって、死刑の不当、違法である点を主張し、死刑廃止、死刑の執行停止を訴えているか、あるいは監獄内における囚人等に対する処遇・対応への批判をその中心的内容とするものであって、監獄内外の人間に対して反監獄闘争を直接煽動する内容のものではない。また、死刑確定者が死刑制度を否定し、その執行に反対すること自体は、もとより思想の自由として保障されるべきであり、これを侵害することが許されないことは当然である。

しかしながら、三で認定したような激しい反監獄闘争の経験を有する原告が、自己に対する死刑が確定し、まさに死刑の執行に直面する時期において、前記認定の内容の機関誌類を閲読した場合には、死刑及びその執行について納得できない気持ちを強め、国家あるいはその具体的な現れとしての監獄に対する憤激の念が高まり、著しくその心情の安定を害することになり、その結果、拘禁目的が害されるかあるいは施設の規律・秩序の維持上放置できない程度の障害が生じる蓋然性も考えられるとした所長の判断は合理性があるというべきであり、したがってこれらの機関誌類について閲読不許可にした所長の処分が違法であるとは認めることはできない(なお、「花束通信」を除いて平成三年一〇月一日以降、所長が原告に対し右機関誌類の閲読を許可しているという事実も、所長の前記閲読を不許可にした処分が、具体的状況を勘案しての判断であったことを示すものといえる。)。

加えて、「花束通信」については、その形態からみて実質的には原告に宛てられた信書と認めることができるから、これが外部交通の制限を潜脱する目的で作成された、外部支援者から原告に宛てられた信書とみて、死刑確定者である原告の心情の安定を著しく害するおそれがあるとともに、施設の規律及び秩序の維持上放置しがたい程度の障害を生じさせる相当の蓋然性があるとして閲読を不許可とした所長の判断に合理的判断の範囲を逸脱した違法があるとは認めることはできない。

(3) 原告は右各処分にかかる機関誌類の中には、死刑確定前に閲読していたものもあるが、その結果規律違反行為に出ることはなかったと主張するが、死刑確定により死刑に直面し、死刑確定によりいつ死刑が執行されるか分からないという状況におかれた結果、原告の心情の安定が害される可能性が死刑確定前に比べて著しく高まり、拘禁目的が害されるか、あるいは原告が施設の管理・運営、規律及び秩序の維持上放置できない程度の規律違反行為にでる蓋然性が認められるとした所長の判断に合理性がなく違法であるとは認めることはできない。

また、機関誌類全体の閲読不許可ではなく一部抹消に止めるべきであるという原告の主張も、右所長の判断が各機関誌類の発行趣旨も考慮してのものであること、前記のとおり右発行趣旨も考慮しての所長の判断が不合理なものとまでは認められないことから、右各誌の閲読を全部不許可としたことをもって裁量権の逸脱があるとまでは認めることはできない。

さらに、「死刑と人権」について名古屋拘置所においては閲読が認められていると原告は主張するが、右閲読を不許可とするか否かの判断に当たっては被拘禁者の動静を始めとする個別の事情が考慮されるべきであることは当然であり、かかる差異が仮に認められるとしてもこれをもって憲法一四条に違反した違法なものであるとは認めることはできない。

(4) 以上のとおり、前記第七から第一六まで、第一九及び第二〇の各処分はいずれも違法な処分であると認めることはできないから、この点についての原告の主張は認めることができない。

4  特殊房拘禁(第一七処分)について

(一)(1) 原告が第二種独居房に拘禁されていること、右房の構造のうち窓には自殺防止の為にパンチングメタル(鉄の板に、採光及び通気の確保のため多くの孔があけられたもの)を施した鉄板が貼られていること、天井にテレビカメラが設置されていることについては当事者間に争いがない。

さらに甲一八五の一から四まで、乙四、水上証人、原告本人及び弁論の全趣旨によれば、右第二種特殊房は、通常の独居房に自殺の防止等の観点から、外側鉄格子内側の窓の開放部分(窓面積の半分)にパンチングメタルを施すとともに、水道蛇口を壁面に埋め込み、ビニールホースで蛇口の不足部分を補い、栓を押しボタン式に改め、壁に敷設されていた棚を床面に付設し、居房入口の壁に縦型視察孔を設ける等の改造を施したものであり、テレビカメラが設置されている理由は、原告が収容されている舎房階は特別要注意地区にあり、同階には常に四〇名から四五名程度が拘禁されており、職員による巡回視察だけでは被拘禁者の動静を十分に把握できないことから、これを補完するためであることが認められる。また、天井にテレビカメラが設置してある結果通常の独居房に比べて居房内の容積が多少小さく、窓にパンチングメタルが施してある結果その採光及び通風が一般の独居房より劣っていることは容易に推認されるところである。なお原告は、一定の計算式を下に、一般房と比べて通風については二〇〇分の一、採光については七分の二程度と主張するが、右第二種特殊房の構造に照らして、原告が主張するほどに通風性、採光性が劣るとまでは認めることはできない。また、採光性の点については室内照明で補っていることが認められるから、房内の明るさは補完されていると認められる。

(2) なお原告は医師の健康診断を全く受けていないと主張するが、乙四及び水上証人によれば、定期健康診断は行われており、また原告からの愁訴に基づく診断が行われており、定期的健康診断の他にも原告の健康状態を把握できる機会は設けられていたと認めることができる。

(二) 右処分の違法性の有無

(1) 監獄法は拘禁の形態については独居拘禁と雑居拘禁の二形態を定めるのみであり(同法一五条、一六条)、一五条においては心身の状況により不適当と認める場合を除いては独居拘禁に付することができる旨規定し、監獄法施行規則二六条、二七条において独居拘禁に付しえない場合並びに独居拘禁の期間及びその更新について規定するのみであり、どのような態様の独居房に拘禁するかも含めて独居拘禁に付するか否か、その更新の要否については被拘禁者の具体的、個別の状況を踏まえた上での所長の合理的裁量に委ねられていると解される。

そして拘禁にあたっては、被拘禁者の監視が必要であることはいうまでもなく、その限りにおいて被拘禁者のプライバシーも制限を受けることになることも許容していると認めることができる。また、テレビカメラの設置も、監獄職員による巡回視察を補完するものとして合理的な手段と認められるとともに、特段これを禁止する規定はないから、テレビカメラによる監視も法が許容するものと認めることができ、テレビカメラで監視すること自体をもって直ちにこれを憲法三一条に違反すると認めることはできない。

本件においては前記認定のとおり、原告が収容されている舎房階は特別要注意地区にあり、同階には常に四〇名程度が拘禁されており、舎房担当職員の巡回視察によって被拘禁者の動静を視察するだけでは不十分であること、死刑確定前後に原告の心情に不安定な面が見られ、東京拘置所においては自殺の危険も認められると判断していたことに照らして、第二種特殊房に原告を拘禁するとした所長の判断がテレビカメラによる監視の点も含めて合理的裁量の範囲を逸脱し違法に原告のプライバシー権を含めた権利を侵害するものとまで認めることはできない。

(2) また房の居住性について、原告は他の被拘禁者と比べて差別であり憲法一四条に違反するとともに、健康で文化的な最低限度の生活を下回るものであり憲法二五条にも違反すると主張するが、これも以下の理由により認めることはできない。

まず憲法一四条違反という点は、拘禁目的に応じて被拘禁者の状態等も考慮してそれに応じた処遇を行うべきであることは前記のとおりであるから、被拘禁者の状況に応じて拘禁の態様が異なることをもって直ちに不合理な差別として違法となるものではなく、これを区別する所長の判断に合理的理由が認められないときに初めて違法と判断されるというべきである。そして、原告の状況については前記のとおりであると認められるところ、右状況を基礎とすれば原告を第二種独居房に拘禁するという所長の判断が、他の第二種独居房に拘禁されていない被拘禁者と区別すべき合理的理由がないとまで認めることはできず、この点についての所長の判断は憲法一四条に違反するものではないと解するのが相当である。

憲法二五条違反の主張については、死刑確定者といえども死刑執行までの拘禁にあたっては「健康で文化的な最低限度の生活」水準を侵すことができないことはいうまでもないところである。しかし、死刑確定者の拘禁の目的に照らしてその享受しうる生活上の諸利益が必要な範囲で大幅に制限されることがあることは止むを得ないところであり、また前記のとおり第二種独居房の居住性が一般の独居房と比べて居住性が劣るとは認められるが、前記第二種独居房の構造に照らしてその居住環境が「健康で文化的な最低限度の生活」水準を満たさないものとまで認めることはできず、居住性が劣る点も右第二種独居房への拘禁に伴う制限として受忍すべき限度の範囲内と解するのが相当であり、この点についても原告を第二種特殊房に拘禁したことが憲法二五条に違反し違法であるとは認めることができない。

5  利益処遇の不実施(第一八処分)

(一)(1) 当事者間に争いがない事実に加えて、乙四及び水上証人によれば、東京拘置所においては、一部の死刑確定者に対して集団処遇として月二回程度テレビや映画を見せたり、月一回程度特別な食事をする機会を与えていること、原告に対してはかかる機会を与えていないことが認められる。

(2) 乙四、水上証人及び弁論の全趣旨によれば、東京拘置所において右のような処遇を行っている理由は、死刑確定者間の交流を通して相互に有益的な働きかけを行い心情の安定を図ることを期待してのことであること、原告を右処遇に参加させていない理由は原告が一貫して処遇改善、死刑制度の廃止を訴え、いわゆる対監獄闘争を行ってきた経緯に鑑み、原告が現時点においても同様の行動に出るおそれが認められ、原告の心情が安定しているとは認めがたいとともに、他方原告を集団処遇の場へ参加させることを許可した場合、原告のかかる動静が他の死刑確定者に与える影響を勘案してのものであることが認められる。

(二) 右処遇不実施の違法性の有無

(1) 原告は、右不実施を憲法一四条に違反すると主張するが、他の死刑確定者と区別する所長の判断が合理的理由を有しない場合に初めて違法と認められることは前述のとおりである。そして、原告が従前いわゆる対監獄闘争を活発に行い、現在懲罰にかかるような規律違反行為の回数は減っているとはいえ、一貫して処遇改善、死刑廃止を訴えて積極的に活動していることに照らして、右活動の働きかけを他の死刑確定者等にも行う可能性は高く、他の死刑確定者への影響を考慮して原告を集団処遇に参加させないという所長の判断は右処遇の目的に照らして合理性を有するものと認めることができ、右不実施をもって憲法一四条に反し、違法であるとは認めることはできない。

(2) また原告は集団処遇ができないのであれば独居房で右処遇を行う義務があると主張するが、右処遇は法律の規定に基づくものではなく、前記のとおり死刑確定者相互の交流を通して相互に有益的な働きかけを期待して行われているものであることに照らして、独居房で右処遇を行う義務があるとまでは認めることはできず、かかる処遇を行っていないことをもって違法と認めることはできない。

五  以上のとおり、原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官菅原雄二 裁判官野村高弘 裁判官坂本三郎)

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